治療家への道②立志
大学は駒澤大学の法学部に入った。
サークルは高校の時にギターをやっていたので軽音サークルに入るか迷ったが、軽音サークルに入ると音楽漬けになり留年するだろうと思いやめた。実際、いくつか軽音サークルに見学や新歓コンパに行ったのだが留年してる先輩がたくさんいた。
しかし、どこにも入らないのもつまらないので何かに入ろうかと探していた。
「陶芸部」を見学したら居心地がよく、先輩も面白い人がいたので入った。
ちなみに面白い先輩はお笑い芸人を真面目に目指しており、ネタなども作っていた。
そんな陶芸部は大学では伝統ある部であり、一般サークルと違って部室があった。
一般サークルは部室はなく、庭に簡易的なイスと机を置いて集まっていたり、学食を占領しむろったりしていた。
陶芸部の部室はプレハブ小屋であり、小屋の隣にはちゃんと陶芸釜もあった。また部室では猫も飼っていて、授業がない部員が集まっておしゃべりをしたり憩いの場になっていた。
ちなみに、私が行っていた駒澤大学は大学と短大が同じ校舎で学生が多く、軽音だけで7つ以上、テニス、野球、サッカーなどの人気のあるスポーツは部とサークルだけでそれぞれ10〜20はあり、その他、ゴルフ、社交ダンス、落語、アメフト、人形劇、演劇、飲み会専門など様々な部、サークルがたぶん200以上あったのではないかと思う。
大学生活では授業と授業の間に空き時間があり、特に法学部は出席よりもテスト一発勝負の科目が多く授業にでない科目もあるので、私は大学に行っても部室にいることも多かった。
そんな時など暇な時間を使い陶芸に没頭していた。大学に行って陶芸だけして帰る日もよくあった。
一時期は、本気で陶芸家になろうかな?と思うほどであった。
もちろん陶芸家にはならなかったが、後に陶芸の技術が鍼灸マッサージに活かされた。
そんな感じで大学生活を送っていたが、大学2年も後半になると友人と将来の仕事ついて語り合うこともあった。
法学部の友人は半分以上は公務員志望であったが、中には「裁判所で働きたい」とか「弁理士」になりたいと言っていた友人もいた。その後どうなったかは不明である。
それまで私は将来について真剣に考えた事はなかったが、「そろそろ考えないといけないかな」と真剣に考えると、
公務員、陶芸家、サラリーマン?
自分は何をすべきなんだろう?
なんとなく考えていると、高2の時に「鍼灸!」というインスピレーションを受けた感覚がよみがえってきた。
鍼灸か。。。
そういえば、自分はあのまま腰痛のままだったら暗い人生だったかもな。
将来に希望もなく腰痛を感じたままの生活だっただろう。
あのままの人生だったら私はまるで死んだような人生だった。
そっか、どうせ一度は死んだと思えば、これからの人生は自分と同じように苦しんでる人を助ける人生にしたい。
どうなるか分からないけど、人生一回きりだし。
だめなら他の仕事を探せばいい。やるだけやってみよう!
今までボーっと過ごしていたが、急に「鍼灸がやりたい!」と思うようになった。
そう思ったら、やっぱりG先生しかいない。
今度、鍼灸院に行った時にG先生にこの事を話そう!
なんだか急に胸にこみ上げるものがあり「鍼灸師」になろう!との決意ができたのであった。
つづく。