鍼灸修行⑤瞑想
「気」の勉強会では瞑想が約2時間ほどあった。
「瞑想」って何をするの?
最初は分からなかったがMさんにやり方を教えてもらった。
まず、背筋を伸ばして座って肩の力を抜く。
呼吸は楽に、頭を空っぽにして何か浮かんできてもとらわれない。気にしない。
自分の心を眺めるようにだんだん深く内面に入っていく。
頭で考えるのではなくて、内面を感じるようにする。
起きているのだけど頭では考えない、意識ははっきりしたまま寝ているような感覚。
「無念無相」という状態である。
そんな瞑想だったが、土曜の仕事で疲れていた私は完全に寝てしまった時も多々あった。
しかし、瞑想を何度もしていると感覚が研ぎ澄まされ「気」を感じられるようになった。
それが分かったのは、暗い部屋で瞑想をしていて、もちろん目はつぶっているのだが「気」が変わる瞬間を感じることが何度もあったのだ。
別の言い方をすると、部屋の空気が変わる瞬間を感じたのだ。
そういう時は、だいたい終わった後にMさんが
「今日は30分くらいしてから気が変わったね。」と言っていた。
瞑想をしていた時、確かに部屋の空気が清々しく軽やかになるのを感じることがあった。
ここでいう「気」というのは特別に思えるかもしれないが、簡単に言うと「雰囲気」である。
どっかの店に入ったりすると、なんとなく「ここは居心地いいな」とか逆に「なんかここは嫌だな。早く出たい。」とか感じるのがそれである。
人も同じで「何となく好きだな」とか「何かあの人とは合わない。」とかもそうである。
なので人は無意識に「気」を感じて自分のあった場所にいて、自分とあった人といるのである。
三輪明宏さんが、ある人の相談で
「どうして自分の周りには下らない、ろくでもない人はがりいるのだろう。私は運が悪いのでしょうか?」
と聞かれ、それに対して
「それはあんたがろくでもない人間だからだよ。ろくでもない人間にはろくでもない人間が集まってくるんだよ。」
と言ったそうだ。きつい言い方だが、確かにそうだと思う。類は友を呼ぶのだ。
学生時代を思い出すと分かるが、似たもの同士が集まってグループを作っている。
自分と同じ「気」を持った集団が居心地が良いのだ。
そんな「気」だが、今でも私は「気」を大切にしている。
初めて行った場所、初めて会う人などでは、「気」を感じることを無意識にしている。
つづく。