鍼灸接骨院編⑥暗中模索
柔整学生2年生からは午前は渋谷の学校、午後3時からは越谷の鍼灸接骨院でバイトという日々であった。
私がバイトした鍼灸接骨院は分院が当時8院ほどあった。私と同期に入った先生は6人ほどいて、たまに集まって勉強会、飲み会などして情報交換をしていた。
私が配属された分院は、分院の中でも1番忙しく1日70〜80人程来ていた。1番忙しい時は100人越えた時期もあった。
入った当時は鍼灸はまだ任せてもらえず、ひたすらマッサージする日々であった。
忙しい日は15〜20時までほぼ休憩なしでマッサージしていた。
マッサージしていると汗をかき水分を飲みに行く暇もない。自然と汗が乾き、また汗をかく。そして、また汗が乾く、そんな感じであった。しかし、仕事後に飲むビールは最高であった。
当時は仕事後に同僚と鍼灸や手技療法などについて飲みながら議論するのが楽しかった。
若かったのでエネルギーが有り余っていたのだろう、夜中まで飲んで次の日6時に起き、午前は渋谷の学校に行き、午後はひたすらマッサージ。そんな日々も苦ではなかった。
しかし、当時を今思えば、まだまだ未熟であった。
当時の治せなかった患者さん達は今でも覚えている。
今だったら治せるだろうと思う。
当時は理論も確固たる施術法も確立せず、ひたすらに暗中模索の中、マッサージしていた。
マッサージをしながら「いつか鍼灸でたくさんの人を治したい!」との熱い思いを胸に秘めていた。
つづく。