野口整体① 野口晴哉
鍼灸接骨院編の途中ですが鍼灸学生時代から時々、野口整体の体操会に行っていたので、野口整体について書いていきます。
野口整体は私の鍼灸の師に
「整体はだいたいくだらないものだが、野口整体だけは本物だぞ。」と言われていたので、本を読んで勉強していた。
野口整体はあまりにも有名で、この業界で野口整体を知らない人はもぐりだ!と思うが、野口整体についてはどう説明していいか困ってしまう。
簡単に言うと「人の理想的な生き方を追求した学問」である。
行動学であり、心理学、健康法、教育学など
多岐に渡る。
「整体」というと単なるマッサージのような施術をイメージするが、野口整体の整体とは「心と体が整った状態」のことをいう。
施術は整体を導く1手段にしかない。しかも野口先生は晩年、施術(整体操法)を禁止した。
今回は整体協会の野口晴哉氏の紹介文を載せますので、とりあえず野口晴哉という人がどういう人だったかを理解してみて下さい。
野口晴哉氏について(整体協会より引用)
明治四十四年九月、九人兄弟の次男として東京・上野に生まれる。幼い頃に患ったジフテリアの影響から言葉を話すのに不自由し、幼少期を過ごした漢方医の叔父の許では、さまざまな読書に明け暮れたという。大正十二年、十二歳の時に関東大震災を体験し、焼け野原で苦しむ人たちが悼まれず、本能的に手をかざしたところ多くの人たちが快復、これをきっかけに治療家としての道を志す。
古今東西の健康法や療術などを独自に探求し、十五歳で入谷に道場を開き、愉気と活元運動を主体とした療術団体『自然健康保持会』を設立。また、十七歳で「健康に生くることが自然順応の姿である」などとする『全生訓』を発表し、以後、一貫して「活き活きと生を全うする」ことを指針に据えた活動に入る。
日本治療師会の評議員を務め、大日本連合治療師会の創設にも寄与。そして治療理念の確立、諸療術の体系化を図る「整体操法」をまとめ上げ、昭和二十二年には整体操法の指導者育成機関として『整体操法協会』を設立。昭和二十年代後半には身体を通した人間の個性研究とも言える「体癖論」の基礎を完成させた。
この頃から、病を治すことよりも人間本来の力を引き出して健康に導く自らの活動を「体育」と位置づけ、「治療」を捨てることを決意。何かに頼ることなく自らの足で立つことを指導理念に掲げ、昭和三十一年、そうした健康観に基づく体育団体『社団法人整体協会』を文部科学省(旧文部省)の認可を受けて設立。個人指導のほか活元運動の普及、愉気法などさまざまな整体法の講習会を全国各地で開き、心と体を一として考える独自の人間研究においても体癖をはじめ潜在意識の研究、子育て、教育などの分野にも踏み込み、多くの著作を残した。
カザルスを唯一の師と仰ぐほど音楽を愛し、妻昭子(一九一六~二〇〇四)との間には四人の子息をもうけ、昭和五十一年六月、東京・狛江の自宅にて家族に見守られ六十四歳で永眠。
以上
改めて読むと15歳で道場を開き療術団体を作るとは驚きですね。
ちなみに野口先生の奥様の昭子さんは、元首相の近衛文麿の御長女です。
近衛家といえば、歴史に詳しい人はご存知でしょうが名家中の名家。公家の中で最も天皇家に近い家柄と言われてます。
なぜそんな名家のお嬢さんが、医者でもない一治療家と結婚したのか?
そのあたりも次回書きます。
つづく。