Blog記事一覧 > 11月, 2022 | 春日部市高橋はりきゅう整骨院|鍼灸・腰痛の記事一覧
大学を卒業した年の4月から9〜12時に柔整学校1年生、18〜21時に鍼灸学校3年生というWスクール生活がスタートした。
ちなみに専門学校は3年なので1年だけWスクールになる。
学校が渋谷なので一度自宅に帰るのも時間が中途半端であった。
春日部から渋谷までは当時は1時間半かかった。
空いた時間でバイトでもしようと思ったが、バイトをするにしても、どうせやるなら将来の仕事に活かせるバイトが良かった。
鍼の師のG先生から
「鍼を打つにはまず体に触り慣れないといけない。最初はマッサージをすると良い。」
と言われていたので、どこかマッサージのバイトを探すことにした。
しかし、平日の13〜17時という時間で雇ってくれるところがあるのか?
当時の求人は鍼灸の業界誌「医道の日本」しかなかった。その本の後ろのページにある求人に電話してみることにした。
本に載ってるマッサージ院に片っ端から電話したが、ほとんどのところは断られた。
1件だけ「日曜も出れるなら来てもいいですよ。」と言ってくれた。
数日後、面接に行ってみると、ちょっとオシャレなマッサージ院だった。都内に数カ所あり、大手下着メーカーの子会社であった。
まだ新しい会社らしくスタッフ皆20〜30代と若かった。代表の大谷さん(仮名)も35歳くらいだったと思う。
面接では
「日曜は出れますが、平日1日は休ませてください。」と言い、採用となった。
日曜働くのは苦ではなかったが、平日1日休みが欲しかった。
学校の空き時間に自分の時間が欲しかったのだ。
平日の空き時間は、渋谷をぶらぶら探索したり、カフェでのんびり過ごしたり、映画を見たり、卒業した大学の図書館に行って勉強したり陶芸部で陶芸したり、献血したりして、忙しい毎日の唯一の息抜きの時間だった。
新しく始まった柔整学校は週に一度柔道の授業があった。柔道で組み合ったりするせいか鍼灸学校の時よりクラスメートと仲良くなるのが早かった。
柔道は経験者と未経験者がいたが、経験者といっても強豪大学出身者も多く、素人とは全くレベルが違っていた。
指導の先生もオリンピックの選考までいった有名な先生だった。
一度だけ乱取りで組ませてもらったが、5秒くらいで投げられた。しかし痛くなった。上級者に投げられると痛くないのだ。むしろ投げられて気持ち良い。
また、柔道では受け身を最初に習うが、これは実生活で役に立つ。
もう10年以上前になるが、整骨院の外の電球を丸イスに立って交換していてバランスを崩して倒れた時があった。
イスから前に倒れ地面に頭を強打するところだったが、とっさに1回転、前回り受け身をしてなんともなかった。ニャン子先生のようだった(古い!)
頭を強打したり、手をついて骨折したら大変だった。
また、自転車で転倒した時も受け身をとって怪我は無かった。
今までに「受け身を教わっておいて良かった〜」と思ったことが何回かあった。
受け身オススメです!
つづく。
柔道整復師の専門学校にも合格し、来年からは柔整学校1年生、夜間の鍼灸学校3年生になる。また大学はなんとか卒業できそうな見込みができた。
柔整の学校に行くようになると大学のようにテスト一発勝負とはいかないので、午前中は柔整学校、夜は鍼灸学校となりG鍼灸院では働けなくなってしまった。
思えば高校3年間痛かった、どこに行っても治らなかった腰痛を治して頂いてから約5年間、患者として、弟子としてG先生にはお世話になった。
鍼灸について、また人を治療するということについて全く無知った私にいろいろ教えて下さった。
G先生は鍼治療に人生をかけ情熱を注いでいた。
治療家なら治療に熱心なのは当たり前だと思うかもしれないが、この業界に入ると意外と治療に情熱がある人が少ないのが分かる。
向上心を持って学び、患者さんを第一に考えて仕事をしている人は1割程度ではないだろうか?
ほとんどの治療家は惰性で治療をしている。日々、向上心を持って勉強している治療家は一握りしかいない。
もちろんG先生は治療に心血を注ぎ、常に新しいことをチャレンジしていた。
私はG先生に鍼灸の技術も教わったが、技術以上に治療家のあるべき姿を先生の日常から教わった気がする。
縁あってG先生と出会い鍼灸の素晴らしさを経験させて頂いた。G先生と出会わなければたぶん鍼灸はやってなかっただろう。
私の人生は別の方向に向かっていた。
しかし、G先生と出会い治療家の道を歩んで良かったと思う。
G先生の治療に対する情熱はG先生の人生そのものであった。
その情熱はいつしか私の心にも燃え移り、30年経った今でも消えることない。
G先生から受け継いだ情熱は、私の生涯の灯火となり私の人生をこれからも照らし続けてくれることだろう。
鍼灸修行編 『完』
こんにちは。院長高橋です。
今回40代、4.5cmの卵巣嚢腫が消失した臨床例です。
その方は腰痛で来院されたのですが、問診をすると冷え性、卵巣嚢腫があるというので、そちらも一緒に鍼灸しましょうということで、体質改善の鍼灸をしました。
卵巣嚢腫は左に4.5cmということでしたが、卵巣嚢腫は病院では「治らない」と言われたそうです。
私の妻が鍼灸で7cmの卵巣嚢腫が消失した経験がありましたので「治るか分かりませんが、とりあえず冷え性や腰痛の鍼灸をして体質改善をしましょう!」と鍼灸をやりました。
また鍼灸を受けながら漢方薬も服用したそうです。
週に二回ほど鍼灸をして、院に来れない日は自宅でお灸をやってもらいました。
しかし、自宅のお灸はお子さんが小さくなかなかできない日も多かったそうです。
鍼灸は主に下半身の血行を良くして冷えを取るツボを使いました。
腰痛は1ヶ月かからず良くなってましたが、治療してから約3ヶ月、病院で卵巣嚢腫の消失を確認しました。
今回のケースは鍼灸と漢方薬も効いたものと思います。
期待に応えられて私も安堵しました。
卵巣嚢腫と冷え性は大いに関係あると思われます。
まずは冷え性改善が重要ですね!
G鍼灸院には何人か不妊症のご夫婦が来ていた。
その方は30代だったと思う。
痩せ型のご婦人で、ご夫婦で鍼灸院に来ていた。
私が働く前から鍼灸を受けていたようだったが、私が働いてからは半年ほど経っていたと思う。
そんなある日、ご婦人はいつものように鍼灸を受けるためにベットに寝て待っていた。
少ししてG先生が来て、お腹を触った後
「妊娠してます。受精して2週間経ってます。」
と突然おっしゃった。
(え?本当?)
私も近くで聞いていて驚いて、他のスタッフと顔を見合わせてしまった。
ご婦人も突然の言葉に驚きながらも喜んで
「あ、ありがとうございます。」
と言うのが精一杯で、目には涙が潤んでいた。
少しして私とスタッフで
私「本当ですよね?妊娠2週間で分かるんですかね?」
スタッフ「本当でしょ。違ってたら大変だよ。」
と話した。
確かに、鍼灸では「脈」で妊娠が分かると言う。
しかし、この時先生は脈診はしてない。数秒お腹を触っただけである。
「なんで分かるのですか?」と聞きたかったが、たぶん「気に決まってるだろ!そんなことも分からないのか!」と言われそうで聞けなかった。
それから本当にお腹は大きくなっていき、その後無事に出産された。
確か赤ちゃんも連れて挨拶に来てくれたのを覚えている。
ちなみに現在、うちでも不妊症のご夫婦が何人かいらしているが、基本的には冷え性の体質改善の鍼灸を行う。
私はG先生のように妊娠2週間では分からないが、それなりに頑張って鍼灸させて頂いております。
うちでも開業以来、不妊症でいらして出産されたご婦人は30人以上はいると思う。
もちろん皆さん、専門の病院に通いながらである。
つづく。
こんにちは!院長高橋です。
只今、柔道整復師・鍼灸マッサージ師を募集しております。
当院開業22年、解剖学をベースにした手技療法(KYT整体)、鍼灸、冷え性、美容鍼など致してます。
月1回、受付時間を短縮して院内研修会や、随時動画による勉強会を行っております。
完全週休2日制、社会保険完備、有給休暇、退職金制度あり
現スタッフ、長期勤務者多く働きやすい職場です。
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G鍼灸院でのある日のこと。
午前中、1人の70歳過ぎの男性が初診で来た。
腰痛が主訴だったが、先生は特に変わりなくお腹、腰の鍼をしてその方は帰宅した。
男性が帰って少ししてから、男性の家族(娘さん)が鍼灸院に来た。
娘さんは、「先生にお話したいことがあるんです。」
と、先生と直接話したいと待っていた。
少ししてから先生が来た。
娘さん「先程お世話になった○○の家族なんですが、
、、」
先生「大丈夫ですよ。」
娘さん「え?でも、、、」
先生「大丈夫です。」
娘さん「先生にお伝えしたいことが。。」
先生「大丈夫です。分かってますから。癌なんでしょ?本人に言ってないんですよね。ちゃんとそっちも治療しておきましたから、大丈夫です。」
娘さん「、、、」
娘さんは、びっくりして声もでない様子だったが、少しして
「よろしくお願いします。」
と深々と頭を下げて帰っていった。
私は、目の前でこのようなことがあったが、G先生のこういう出来事には慣れてしまっていたので特に驚きもせず、さすが我が先生!と少し誇らしかった。
それから、このご家族は先生をすっかり信用してくれて家族全員で鍼灸院に来るようになった。
ちなみにこの男性の癌は、よく覚えてないが確か胃癌だった気がする。
私が働いている間は元気に来ていたが、その後どうなったのかは分からない。
とても明るいいいお爺ちゃんで、私の気功を受けて
「高橋先生の気功は気持ちいいな〜」
と、いつも言ってくれた。
その方のように、G鍼灸院には癌で来ている人が何人かいた。
つづく。
G鍼灸院は都内の下町にあり、先生はもっぱら原付バイクで往診をしていた。
下町は小道が多く、車だと通りにくくかえって原付バイクの方が便利なのだ。
ある日、私はG先生に買い物を頼まれた。
先生「バイクで20分くらいだから行ってきて。」
私「いや、バイク乗ったことないんです。」
先生「自転車は乗れるだろ?同じだよ」
私「そうなんですか?」
先生「大丈夫、大丈夫」
ということで、簡単にアクセル、ブレーキを教わって買い物に出ることになった。
原付バイクは、地元の田んぼ道を友人のを借りて1回だけ乗った事があった。
しかしほとんど経験なく、今考えるとかなりのむちゃぶりだったと思う。
しかも都内の交通量が多い入り組んだ道だ。
しかし、G先生のいいつけを断れるわけもなく、しかたなく行くことにした。
乗ってみると確かに難しくはなかったが、なんせ道もよく分からない交通量が多い東京、不安しかなかった。
行きは教えられた道を行き、とりあえず到着できた。
買い物を済ました帰り道、いつのまにか行きと違う道を走っている事に気づいた。
あれ?おかしいな?と思い「勘」で方向を変えて走ったのだが、下町独特の入り組んだ小道に入ってしまい方向感覚が全く分からなくなってしまった。
分からないまま走っていると、いつのまにか大きな橋に出て川を越えてしまった。
別の区に来ちゃった?と、明らかにとんでもない場所を走ってるのに気づいた。
このまま走っていても帰れないと悟り、人に聞き聞き走り、結局1時間ほどかかって帰ってきた。
とりあえず事故もなく無事帰れて来れてホッとした。
土地勘もなく、慣れない東京で乗ったこともないバイクでちょっとした冒険だった。
そんなハラハラドキドキの買い物は、先生お気に入りのラーメン屋さんのテイクアウトだった(笑)
帰りに時間がかかり伸びてしまっていたと思うが先生は何も言わずに
「やっぱりここのは美味いな!」
と言って食べていた。
それは先生の優しさなのか、単に気づかなかっただけなのかは不明である。
つづく。
G先生は健康ランドのサウナが好きで、よく仕事後に連れて行ってくれた。
弟子入りして初めていろいろ話させて頂いたのも健康ランドであった。
そんな健康ランドのお風呂では、たまに整体の練習をしていた。
大浴場には垢すりのベットが置いてあり、そこは個室ではなく間仕切りがしてあるだけであった。
垢すりのベットが空いてる時に、勝手に使わしてもらい整体やツボの練習をしていた。
裸のままG先生にやり方を教えてもらい、G先生に施術する。
ちょっと危ない光景である。
何も裸でやらなくても。。と当時は思っていたが、裸だからこそ体の動きが良くわかったのかもしれい。
私達が空いてるベットで練習していると、他のお客さんからは変な目で見られていたが、G先生はそんな事全く気にしてない様子だった。
健康ランドで練習した整体は後日、鍼灸院でもう一度G先生に受けてもらってから患者さんに実践する。
一時期は、首、背中、腰の矯正を1日30人ほどやっていた気がする。
今でもやろうと思えばできる。
たまにスタッフにやったりするが、骨をポキポキ鳴らす矯正はあまり意味ないと思うので、今はやってない。
最近、骨をポキポキ鳴らす矯正がSNSで流行っているが私は否定的である。
骨の周囲の筋肉を緩めないと意味ないし、無理に鳴らすのはただのパフォーマンスでしかない。
特に首の矯正は事故も多い。
それよりも筋肉を緩めることにより関節の動きを良くする方が良いと思う。
私が教わった矯正法は「南条式活法」と言っていた。
つづく。
大学4年、夜間部鍼灸学校2年のWスクールも後半になり、大学卒業後どうするか迷っていた。
G先生に相談したところ
「柔整(接骨院)学校に行けるなら行った方がいいかもね。」と言われていた。
しかし、私は柔整にはいまいち興味がなく鍼灸一本でやりたかったので、G先生にそう言われて迷っていたのだ。
それから再度、G先生に相談すると
「とりあえず受けてみれば?たぶん受からないよ。難しいから、知り合いの鍼灸師も何年も勉強して受けて受からないんだよ。」
と言われた。
鍼灸の同級生で柔整(接骨院)の資格を持っている人もいるので何人かに聞いたら
「どこか偉い先生に弟子入りするか、口利きをして貰わないと難しいじゃないかな?」
と言っていた。
「そっか、柔整は難しいのか。」柔整が難しいのを知った。
当時の柔整学校は倍率が高く入学が非常に難しかったのである。
ちなみに、今は学校が乱立し定員割れしていて学費を払えば誰でも入れる。
私は、とりあえず受けてみてダメならまた考えようと受験を決めた。
受験を決めたのはいいが、受験する前に大学が卒業できるかの問題もあったが。
それから結局、通っている鍼灸と同じ学校の柔整の昼間部を受験した。
結果は、、
みごと、、『合格!!』
G先生は驚いていたが、Mさんは
「僕は高橋君なら受かると思ったいたよ。お世辞じゃなくて。」と言ってくれた。
さすが大企業の人事部長!見る目がある!
G先生は業界のことを知っていたため、逆に難しいと思っていたのだろう。
入学テスト自体は高一くらいのレベルのテストであり、正直簡単だった。
ただ当時の柔整はテスト以外の要素があり、合格は受けてみないと分からなかった。
実際、学校に入学してみると、入学初日にもかかわらず先生と知り合いだったり、生徒同士も知り合いだったりした。ここって実力で入学した人は何人?って感じだった。
その後、無事に大学も卒業できて、
柔整の昼間部1年生、夜間部鍼灸3年生のWスクールの生活が始まるのだが、
専門学校は大学と違って毎日行かなければならず、
G鍼灸院のバイトは一旦辞めることになった。
つづく。
鍼灸院では月に1回土曜19〜24時で「気」の勉強会が行われていた。
講師は前述したとおりMさんだが、当時、G先生は「中村天風」がお気に入りであり、勉強会でも「中村天風」哲学をやることが多かった。
中村天風をご存知だろうか?
大きな本屋の自己啓発コーナーに行けば、何冊かあると思うが、天風哲学を簡単に言えば「プラス思考」である。
最近、話題になったのは、あの大谷翔平が中村天風哲学の実践者ということだ。
大谷翔平だけではなく、松岡修道、石田純一なども天風哲学の実践者らしい。
松岡修道は、まさに「プラス思考」そのもの、天風哲学そのものだろう。
G先生は私に天風さんの講演のカセットテープをダビングしてくれて
「これを覚えるまで繰り返し聞きなさい」
と言われた。
天風さんの講演のテープはいろいろあるが、私がもらったのは「神人冥合」だったと思う。
たぶん講演の中でも「神人冥合」のやり方が説かれた最高の講演ではなかろうか。
うぶな私はG先生の言われるままに通勤の行き帰り、繰り返し聞き講演の話をそのまま空で言えるほど覚えてしまった。その内容、天風氏のガラガラ声は今でもほぼ覚えている。
中村天風氏の「神人冥合」はヨガの最終奥義であり、天風氏がインドで体得したヨガの最終奥義をなるべく誰でもできるようにしたやり方である。
私は今でも瞑想の中に取り入れてやっている。
「神人冥合」は「無念無想」になる方法である。
天風氏によると「無念無想」になると、宇宙と一体になり、一番「気」が入ってくる状態だという。
これは体験した人でないと分からないが、凄く疲れている時など、この瞑想をすると30分しただけで数時間寝た以上の疲労回復効果がある。
しかも心理的なストレス回復効果も絶大である。
仕事後にすごく疲れていて電車で30分実践し、その後に元気満々になった経験も何度もある。
また、いろいろストレスがある時などは心が軽くなるのを経験する。それはストレスある時にスポーツをしてストレス発散した感覚に近い気がする。
また、天風氏によると「プラス思考」の人にはプラスの気が、マイナス思考の人にはマイナスの気が入ってくると言う。
いつも明るくにこにこしている人は幸福が訪れ、いつもしかめっ面をしてマイナス思考の人はマイナスの結果が訪れる。
幸不幸は自分自身の問題であり、全ては心持ちの結果であると言う。
天風氏の「プラス思考」を絶対的積極心というが、この哲学は天風氏の講演を空で言えるほど覚えてしまった私の血肉となり、今も活きている。
中村天風氏の説明です。
↓↓
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 – 1968年12月1日)は、日本の実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。玄洋社社員、大日本帝国陸軍諜報員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は三郎(さぶろう)。
学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受け渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助氏など日本を代表する実業家も含まれている。現在は公益財団法人天風会(中村天風財団)が著作等を管理している。
つづく。