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整体狂時代(5)良いお腹 | 春日部市で整骨院なら高橋はりきゅう整骨院|鍼灸・腰痛

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Blog記事一覧 > 未分類 | 春日部市高橋はりきゅう整骨院|鍼灸・腰痛の記事一覧

整体狂時代(5)良いお腹

2023.11.21 | Category: 未分類

これは2006年から2011年の約5年間、私が34歳から38歳の頃、整骨院を開業して6年ほど経った頃の話である。この5年間は1年で正月の3日間しか休まず整骨院をやりながら週2日、日曜祭日、全て整体に通っていた。整体狂時代である。

井本整体では最初の3カ月間は主にお腹の操法を学ぶ。
たぶんこれほどお腹に時間をかけて深く学ぶところは他に無いと思う。

お腹について、まずはざっくりと

「良いお腹、良くないお腹」とはどういうお腹だろうか?

良いお腹とは
おへそを中心に集まった弾力のあるお腹である。
腸の働きが良く蠕動運動が盛んなお腹である。

疲れたお腹とは
おへそが凹み弾力の無くなったお腹である。
腸の働きが悪く緩みすぎて弾力のないお腹である。

実際にお腹に手を当てた時に、真ん中が盛り上がっているお腹は良いお腹であり、くぼんで舟床状になっているお腹は疲れたお腹なのだ。

整体では自然治癒力のある体を「潜在体力のある体」と言う。
潜在体力が現れる箇所はいくつかあるが、お腹も潜在体力が現れる箇所である。

一見健康そうに見えても潜在体力のない体は一度崩れるともろい。
潜在体力のある体は多少病気しても回復が早い。

そんな潜在体力が顕著に現れる箇所の一つがお腹である。

整体で最初に腹部から学ぶのは、呼吸を感じる訓練、圧度の訓練などもあるが、特に腹部は丁寧に触れなければならない箇所なので体の基本的な触れ方を学ぶのに最適な箇所なのだろう。

整体狂時代(2)井本整体

2023.10.29 | Category: 未分類,院長ヒストリー

これは2006年から2011年の約5年間、私が34歳から38歳の頃、整骨院を開業して6年ほど経った頃の話である。

初めて井本整体の道場を訪れたのは4月の下旬の日曜日であった。

東京の千駄ヶ谷は埼玉の春日部から1時間ほどで着いた。

井本整体は千駄ヶ谷駅からは徒歩10分ほどであった。木の立派な看板に「井本整体」と書かれていたので、住宅街の中にあったがすぐに分かった。

中に入ると1階は井本先生の操法室(施術室)であり、2階が整体道場になっていた。
 ちなみに地下は談話室になっており食事をしたり休憩する場所で、4階は自主練の部屋と、認定指導者の会議室のようであった。

中に入ると受付で体験申し込みをして2階の道場に通された。

講義の開始が10時からだったので少し早めに行ったのだが、すでに他の生徒達は来ているようで、ざっと60〜80人ほどいた。

また道場の広さも学校の教室3つ分、別の言い方だと柔道の試合2面分くらいの広さがあり、その規模に圧倒されてしまった。

(ここでどんな講義が行われているのだろう。)
正座して待ちながら、なんだかわくわくしていた。
井本整体の練習はベットではなく床で行われる。
講義は正座で聞き、操法の練習は床に受け手が寝て行われる。

講義が始まる前、講師のF先生に
「何が療術やってますか?」
と聞かれたが
(療術って何?)
「やってません。」
と答えてしまったが、後で分かったが療術とは整体の昔の言い方であり、野口整体全盛の時代は療術と言っていたそうだ。

初日はベテランの先輩が専属で付いてくれ、初めから教えてくれた。
初等講座の最初三ヶ月は腹部一二調律点であった。
約3ヶ月、主に腹部の練習するのである。
もちろん腹部は鍼灸学校でも教わったが、実際に腹部を時間をかけて触るのは初めてであった。

今思えば。井本整体ほど真剣に丁寧に体を観察するところは他に無いと思う。
それは野口整体から引き継いだものだろう。
野口整体では、昔はパンツ1枚になり1日中、夜を明かしてお互い観察したそうだ。

さすがに井本整体ではパンツ1枚になり練習する事はなかったが、特別講義の時は朝から夜まで講義、夜も終電近くまで自主練があったときもあった。

初めて井本整体を体験をしてみて、道場生の真剣な練習風景、講師のF先生の深みのある講義に好感が持てた。

また道場の「凛」とした雰囲気も気持ちよくとりあえず初等講座を受けることにした。

鍼灸接骨院{14)卒業

2023.05.05 | Category: 未分類

院長高橋のヒストリーを書いてます。
今回は鍼灸接骨院修行の14回目。

10院ほどある接骨院グループの分院長をやって1年半ほど経った。

仕事に特に不満もなく給料もそこそこも貰っていたのが、私には「開業」という目標があった。

今までの何ヵ所かの仕事はお金のためでなく、開業の為の修行であるという意識が強かった。

なので、別に給料が高いとか低いとかは全く気にしたことがなかった。
むしろ、勉強になるかならないかの方が私には重要であった。

その頃、分院長を1年半やらせていただき、接骨院の業務はだいたいできるようになっていた。
バイトの期間も含めると4年ほど在籍していた。

私は「ここで学ぶことは学んだ。」と思い、総院長に退職を申し出た。

総院長は
「〇〇先生に引き継いてもらって、落ち着いたら退職でいいです。」
と言ってくれた。私は安堵した。

というのも、今まで退職した人を見てきたが9割は喧嘩して辞めていっていた。

喧嘩の内容はさまざまであった。
引き継ぎが終わらないまま急に辞めたり、給料や退職金で揉めたり、人間関係で辞める人もいた。
開業の場所をめぐってかなり揉めたケースもあった。中には分院長をやったいたすぐ近くに開業する、恩を仇で返す人もいたのだ。

今までを見ていると円満退職は稀であった。

私の場合は、総院長はささやかながら送別会を開いてくれて円満退職であった。

同じ業界で生きて行く以上は、円満退職の方がいいに決まっている。

私は開業した後、あるトラブルがあり、この時の総院長に相談させてもらったことがある。
 総院長は快く相談に乗ってくれた。
退職で喧嘩別れしたら、そういう訳にはいかない。本当に困った時に相談できる人がいるのはいいもんだ。

うちも開業して20年以上経つが、表だった喧嘩別れは少ない。
もちろん辞める時は、何かしらあるのだろうが。

鍼灸接骨院(11)鍼往診

2023.03.26 | Category: 未分類

鍼灸接骨院で働いている頃、祖母に
「親戚のお婆さんが、膝が痛くて歩けないから鍼灸をして欲しい」
と言われ、治療に行くことになった。親戚といっても、今まで全く会ったことがないお婆さんであり、家はそれほど遠くなく、車で15分ほどの距離であった。会ったこともない人に鍼灸をするのは初めてで、少し緊張しながら行ったのを覚えている。

お婆さん家は、ある駅のすぐ近くにあり、そこでお婆さんは自転車置き場をしていた。そこは猫とお婆さん、一匹と一人だけしかいなかった。

そしてお婆さんは、膝が悪いため駐輪代を受け取りに行くのに時間がかかり、自転車を停めてるお客の中でお金を払わないで帰ってしまう人が多かった。
私が様子を見ていると、「すいませーん!」とお客さんに言われても、膝が悪い為、お婆さんはなかなか出ていけない。お客さんは、少しは待つが、出てこないとそのまま帰ってしまうのだ。
お婆さんは、「停めてるやつらの半分しか金を払わねー。」と怒っていたが、特にお金に困っているようでもなく、なんとなくその光景がユーモラスにも見えた。

その家で飼われている猫は、外に出たら危ないからと首輪をされて、5m位のひもで柱に繋がれていた。猫は、一日中、同じ半径の円の中をぐるぐるしていて、その為、猫の周りだけ絨毯がはげていた。なんだか少し猫が可哀想な気もしたが、餌が食べ放題らしく、よく太っていた。

そんなノホホンとした感じの所なので、よく近所の猫好きな主婦やお年寄りがよく集まって、猫話に花を咲かせていた。
それから、お婆ちゃんの家に週に一回ほど鍼灸治療をやりに行くようになり、3回目くらいに行った時に、猫好きの近所の奥さんがいて、鍼灸治療を見ていて、

「友達が足が痛くて、どこにいっても治らないみたいで、今度、一回みてもらえないかなー。」 と言い、

軽い気持ちで「いいですよ。」と言ったら、次の週に本当に友達が来ていた。

膝から足首あたりが痛いらしく、「足を地面に着くのも痛い」と言っていた。特に関節などに異常はなく、神経痛の一種かなと思い、とりあえず師の鍼灸の真似をして自分なりに一生懸命治療した。

次の週に行くと、先週治療した人も来ていて、「あれから嘘のように痛くなく、びっくりした。」と言い、さらにその人の友人を2人連れてきていた。

また次の週にいくと、また1人増えていて、一気に5人になった。

師が一日大勢、鍼治療するのを普段見ていたから、「5人くらいなんでもないや」と思っていたら、意外に時間がかかり、疲れた。

つづく

鍼灸接骨院⑩分院長

2023.03.12 | Category: 未分類,院長ヒストリー

接骨院で働いて3年ほど経った頃、ある分院の分院長が辞めることになり私がそこの分院長として配属になった。

それまでいた分院は患者さんが1日60〜80人ほどでスタッフが5人ほどたったが、配属になった分院は1日30人ほどの患者さんをスタッフ2人でやっていた。

配属されて行ってみると、今までの大人数を多数のスタッフで施術するのと違い、患者さんとの距離が近くアットホームな接骨院であった。

少し働き出すと、患者さん1人1人にかけられる時間が長く、ゆっくり施術ができて「こういう院もいいな〜。」と思った。

思えば、最初に弟子入りしたG鍼灸院は1日200人もの患者さんが来て、息もつかないほどの忙しさであった。患者さんとゆっくり話してる暇なんて無かった。
また、前の接骨院もかなり忙しかったし、大人数がいるために個人的な話はできない雰囲気だった。
それに比べ新しい分院は時間的に余裕があり、ゆっくり施術できた。

しかし、のんびりできていいなーと思っていたら、だんだん患者さんが増えてしまい2人では対応できなくなり、その後3人体制となった。その頃は1日50人を超えていた。

それから分院長は1年間やらせて頂いたが、開業前に分院長を経験して大変勉強になった。

この後、自分で開業するのだが分院長を経験させて頂いたおかげで開業してからも全く困らなかった。

分院長として治療施術だけでなく事務仕事も勉強できたのが大きいと思う。

開業する前に分院長を経験するのは、開業後に成功するために必要かもしれない。
 自分で1つの整骨院を運営する練習になる。

鍼灸修行(15)中村天風

2022.11.07 | Category: 未分類,院長ヒストリー

鍼灸院では月に1回土曜19〜24時で「気」の勉強会が行われていた。

講師は前述したとおりMさんだが、当時、G先生は「中村天風」がお気に入りであり、勉強会でも「中村天風」哲学をやることが多かった。

中村天風をご存知だろうか?

大きな本屋の自己啓発コーナーに行けば、何冊かあると思うが、天風哲学を簡単に言えば「プラス思考」である。

最近、話題になったのは、あの大谷翔平が中村天風哲学の実践者ということだ。

大谷翔平だけではなく、松岡修道、石田純一なども天風哲学の実践者らしい。

松岡修道は、まさに「プラス思考」そのもの、天風哲学そのものだろう。

G先生は私に天風さんの講演のカセットテープをダビングしてくれて
「これを覚えるまで繰り返し聞きなさい」
と言われた。
天風さんの講演のテープはいろいろあるが、私がもらったのは「神人冥合」だったと思う。
たぶん講演の中でも「神人冥合」のやり方が説かれた最高の講演ではなかろうか。

うぶな私はG先生の言われるままに通勤の行き帰り、繰り返し聞き講演の話をそのまま空で言えるほど覚えてしまった。その内容、天風氏のガラガラ声は今でもほぼ覚えている。

中村天風氏の「神人冥合」はヨガの最終奥義であり、天風氏がインドで体得したヨガの最終奥義をなるべく誰でもできるようにしたやり方である。

私は今でも瞑想の中に取り入れてやっている。
「神人冥合」は「無念無想」になる方法である。

天風氏によると「無念無想」になると、宇宙と一体になり、一番「気」が入ってくる状態だという。

これは体験した人でないと分からないが、凄く疲れている時など、この瞑想をすると30分しただけで数時間寝た以上の疲労回復効果がある。
しかも心理的なストレス回復効果も絶大である。
仕事後にすごく疲れていて電車で30分実践し、その後に元気満々になった経験も何度もある。
また、いろいろストレスがある時などは心が軽くなるのを経験する。それはストレスある時にスポーツをしてストレス発散した感覚に近い気がする。

また、天風氏によると「プラス思考」の人にはプラスの気が、マイナス思考の人にはマイナスの気が入ってくると言う。

いつも明るくにこにこしている人は幸福が訪れ、いつもしかめっ面をしてマイナス思考の人はマイナスの結果が訪れる。

幸不幸は自分自身の問題であり、全ては心持ちの結果であると言う。

天風氏の「プラス思考」を絶対的積極心というが、この哲学は天風氏の講演を空で言えるほど覚えてしまった私の血肉となり、今も活きている。

中村天風氏の説明です。
↓↓
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 – 1968年12月1日)は、日本の実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。玄洋社社員、大日本帝国陸軍諜報員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は三郎(さぶろう)。

学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受け渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助氏など日本を代表する実業家も含まれている。現在は公益財団法人天風会(中村天風財団)が著作等を管理している。

つづく。

鍼灸修行③ 気功

2022.10.18 | Category: 未分類,院長ヒストリー

患者としてG鍼灸院に通っている時、鍼灸院で木曜に気功体操会をやっていた。私も大学生になって時間がある時、治療を受けるついでにその体操会にも参加するようになった。

鍼灸院の一室での体操会であり、夕方4〜7時で1時間✖️3回ほどやっていた。

4〜6時の体操会の講師はG先生ではなく、G先生に見染められた患者さんであった。

特に6時の担当のMさんはG先生と仲が良く兄弟のようでもあった。

そんなMさんの6時の体操会では最後に15分ほどの瞑想が行われていた。

私が初めてMさんの体操会に参加した時も「瞑想」があった。

私は「瞑想って何するの?」と思いながらも、目をつぶってそれらしく座っていた。

座っていると、何か白い円のようなものが見えた気がした。とくに気にもせずに瞑想を終えると、Mさんが

「白い円が見えたよね?見えなかったと言ったら嘘になるよ〜。」

と自信満々に言われた。私は驚きながらも

「確かに見えました。でもアレは何ですか?」

と言うと「今は知らなくていい。」と言われた。

それがMさんとの忘れられない最初の出会いであった。

 

ちなみにMさんとG先生の出会いも強烈である。

これは体操会メンバーから聞いた話だが、

G鍼灸院にMさんのお母さんが治療に来ていたが、ある時足首を強く捻挫して歩けなくなってしまった。

G先生はMさんの自宅に往診に行って鍼治療をしたそうだ。

その時、Mさんも傍にいたそうだが、G先生は初対面のMさんに

「突然こんなことを言って信じてもらえないかもしれませんが、あなたと私は過去世においてインドで一緒に修行した友人です。今まではお会いしてませんでたが、これからはよく会うことになると思います。」

と言ったそうだ。

そのことを後にMさんに聞いたことがあった。

「あの話は本当なんですか?」と聞くと、

「本当だよ。突然そんな事を言われてびっくりしたよ。あーそうなんですか?しか言えなかったよ。」と言っていた。

しかし、その後、本当にG先生とMさんは親密になっていく。

また、G鍼灸院では毎週木曜の気功体操会とは別に毎月1回土曜の19〜24時くらいで「気の勉強会」をやっていた。

私も働きだした頃から参加していた。

「気の勉強会」の話は次回書きます。

つづく。

 

治療家への道③鍼灸師の現実

2022.10.13 | Category: 未分類,院長ヒストリー

「鍼灸院になろう!」と決めてから、まずは父に相談してみた。

父は、「G先生のところは混んでるけど、他の鍼灸院はガラガラだよ。鍼灸で生活できるのかな?」と心配していた。

そらから治療に行った時にG先生にも相談したが、父と同じように

「鍼灸じゃ食べていけない。やめときな。大学行ってるんだったら普通に就職した方がいいよ。」

と言われた。しかし、私は

「僕の腰痛はどこにいっても治らなかったのが先生の鍼で治りました。先生のようになりたいんです!」

と言うと、G先生は少し考えてから

「それじゃあ少し勉強に来てみれば?実際、鍼灸を見てから考えてもいいんじゃない?」

と言われた。

私はG先生のところで勉強できるのが嬉しく「はい、よろしくお願いします。」

と即座に答え、ますます鍼灸師になる志しを強くした。

大学生の私はお金とか生活の事とか全く考えてなく、ただ「G先生のようになりたい」の一心のみであった。

 

しかし今、年を取り社会を経験し思えば確かに父やG先生の言う事は分かる。

鍼灸師はやり甲斐のある仕事だが、金銭的には厳しい。好きじゃないとやるべきではない。

鍼灸師は雇われて働いても、就職先は個人経営が多いので、給料も低く週休1日、有給休暇なし、ボーナスなし、退職金なし、社会保険なしの院がほとんどだ。(高橋はりきゅう整骨院はありますよ!)

たとえ開業してもサラリーマンの平均年収を稼ぐのは難しい、開業してサラリーマンの平均年収くらい稼げたら大成功だと思う。

しかも、もちろん開業したら有給休暇、ボーナス、退職金もない、健康保険は自分で加入し年金も国民年金だけである。病気で働けなくなったら収入もなくなる。そんな厳しい世界である。

なので、社会を知った人なら「本気でやる気がないのならやめときな。」と言うのも分かる。

鍼灸師の厳しい点ばかり書いたが、良い点としては仕事をして患者さんに喜んでもらえる。

喜んでもらえ自分も嬉しい。直接「ありがとうございました。」と言ってもらえる。

その点は最高の仕事だ。

私は今までこの仕事をしてきて多くの治療仲間、患者さんと出会った。楽しくもあり、やり甲斐のある仕事だったと思う。

思い出に残る楽しい患者さんとの出会いもあった。

この仕事は、患者さんを治療し私が患者さんを助けてると思われるが、実は私も患者さんに生き甲斐をいただいるのである。

感謝、感謝!

つづく。

 

 

 

KYTアドバンスセミナーに行く

2022.04.17 | Category: 未分類

4/17 ken yamamotoアドバンスセミナー

 

こんにちは。

院長高橋です。本日ken yamamotoアドバンスセミナーに行ってきました。

ken先生を知らない人もいると思いますので、簡単に紹介しますと、

「世界を股にかける腰痛治療家」なんです。

え?どんな人って感じですが、

世界中で治療を行い、世界のドクター、治療家にそのテクニックを教えてる人なんです。

興味ある人はYou Tubeで検索して下さい。

日本でKEN先生のテクニックを学べるのは春、秋のセミナーだけです。

今回のセミナーはベーシックの上のアドバンス。内容は超濃厚でした。

7時間ぶっ通し、教わったテクニックは20以上になると思われます。

途中、情報が多すぎて頭がパンク寸前。

気力、体力の限界でしたが、KEN先生の情熱で最後まで頑張れました。

テクニックも全く出し惜しみなく、今持っているものを全力で教えてくて感動、感謝!

練習も秒単位で行われ、ついていくのがやっとでした。

今日教わったテクニックは内容をまとめ、院の勉強会で練習してから実践していこうと思います。

これから内容を消化していくのが大変ですが、院のスタッフと共に頑張ります。

ken yamamotoテクニックは、全て解剖学がベースなので理論的で再現性が高い手技です。

そうじゃなきゃ世界相手に通用しませんね。

 

今日の内容を患者様に還元できたらセミナーに参加した甲斐がありますね!

 

肋間神経痛

2020.06.29 | Category: 未分類

肋間神経痛は胸椎から出ている肋骨に沿っている神経が痛む症状である。

原因

肋間神経はちょうど胸のあたりにある脊椎である胸椎の中にある胸髄神経から出て、肋骨に沿っている神経である。肋骨は左右12本ずつの骨で、その中にある人間が生きていく上で欠かせない心臓や肺を保護する重要な骨である。肋骨に沿っている肋間神経が痛む原因はさまざまである。脱臼や骨折、腫瘍によって神経が損傷し痛みを感じたり、椎間板ヘルニアや変形性脊椎症などの病気により神経が圧迫されて引き起こされることもある。また帯状疱疹が原因であることもある。帯状疱疹は帯状疱疹ウイルスの感染によって皮膚に赤いぶつぶつや水ぶくれが引き起こされる病気だが、神経痛を引き起こすこともあり、その場合はじくじく、ピリピリとした痛みを胸のあたりに感じる。

症状

肋間神経痛を引き起こしている原因によって、痛みの出る頻度、症状は異なる。ビリっと電気が走ったような鋭い痛みだったり、じくじくとした痛み、ヒリヒリとするような痛みだったりする。肋骨の骨折や肋骨に腫瘍がある場合や、胸椎椎間板ヘルニアなどが原因の場合は上半身を前後や左右に曲げたり、ひねったりする際に特に痛みが強くなることがあり、息ができないほどの痛みが現れることもある。肋間神経は肋骨に沿う形でつながっているため、肋骨に沿って痛みが出ることが多く、片側のみが痛む場合が多い。

治療

肋間神経痛の治療は、原因が分かった場合、その病気を治療することで痛みやしびれを取り除くことにつながる。原因がはっきりしない場合は、消炎鎮痛薬や神経痛薬の内服治療を行う。痛み止めの処方で痛みが治まらないとき、神経ブロックという治療で痛みを抑える場合もある。神経ブロックは痛みを引き起こしている神経やその近くに直接麻酔薬や神経を破壊する薬、神経に起きている炎症を抑えるステロイド剤を注射して痛みを取り除く。