Blog記事一覧 > 院長ヒストリー | 春日部市高橋はりきゅう整骨院|鍼灸・腰痛 - パート 7の記事一覧
高1の6月から特に原因なく腰痛になってからそのまま腰痛は治らず、気がつくと高3の12月になっていた。
病院に行っても「異常なし」と言われ、いろいろな治療を受けたが効果なく
「このままずっと腰痛は治らないのでは。」と将来に希望も持てないまま高校生活も終わろうとしていた。
学校は高3の12月になると受験前になり午前だけで終わる日も多くなっていた。
午前で終わるので時間に余裕ができ、なんとなく心にもゆとりを感じられた。
そんな時分からか、以前父から紹介された鍼灸院に行ってみようかなと思えるようになった。
その鍼灸院について父は会社の人から「凄く患者さんが多くて、とても鍼が上手い先生だよ。」と聞いたようだ。
父からその鍼灸院を紹介されたが、私は以前鍼灸を受けたが全く効果がなかったので行く気がしないままであった。
その鍼灸院の住所は、私の机の引き出しの隅に小さなメモ書きでしまわれていたが、いつ無くなっても気づかないくらいに存在さえも忘れかけていた。
そんな状態であったが、何かで引き出しを開けた時、その紙がなんとなく気になった。
「時間もできたし行ってみようか。」と高3の12月、思えたのだ。
後日、学校が半日で終わった日に友達と昼ご飯を駅で食べてから一人で鍼灸院に向かった。
鍼灸院は都内だったが、埼玉寄りであり電車も乗り継ぎなしで40分ほどで着くところだった。
住所と鍼灸院名しか分からなかったが、とりあえず近くの駅で降りてタクシーで行けばいいやと思い向かった。
駅に着きタクシーに乗り鍼灸院の住所に向かったが、それらしい鍼灸院がない。
困っているとタクシーの運転手さんがいい人で、近所の人に聞いてくれた。近所の人の話では鍼灸院は少し前に近所に移転したそうだ。移転先を聞き、そのままタクシーで向かった。
鍼灸院に着いたのが、午後の診察が始まる少し前でちょうど良い時間だった。
受付を済ますと
「中に入ってパンツだけになって仰向けで待ってて下さい。」
と助手らしき人に言われた。
言われた通りパンツだけになってベットに寝て待っていた。季節は12月で部屋の暖房はついていたが寒い。
そのまま待っていたが、、
20分、、まだかな?寒いな。。
30分、、まだ来ない。まだ(怒!)寒い。
40分、、まだ来ない。何ー!寒い!
50分、まだ来ない。どうなってるのー!?
パンツ一丁の格好をさせておいて寒い中いつまだ待たせるんだ!!と完全に頭に来ていた。
(これは今思えば助手のミスであり先生は悪くなかった。ちなみにこの助手を見たのはこの時のみで以降見ることはなかった。)
1時間ほど経った頃、5台ほどあったベットは患者さんで埋まっていた。
それから先生らしい人がやっと来た。
完全に頭に来ていた私は
「ずっと腰が痛くて治らないんです!」
とぶっきらぼうに言った。
先生は冷静にお腹を触って
「腸が悪いね。君、腸を治さないと一生治らないよ。」
と言うが早いか、お腹に鍼を何本か刺してスーといなくなってしまった。
それから10分ほど後に助手が鍼を抜きに来て、次にうつ伏せになった。
また先生が来て肩から腰に無言で鍼を刺してスーといなくなった。
10分ほど経った頃、助手がきて鍼を抜いて
「今日は終わりです。」
と治療は終わった。先生と話したのは最初の一言だけであった。
治療室は来た時はあまり人がいなかったが、帰りはずいぶん人がいることに気づいた。
しかし私はそんなことより「こんな鍼灸院、二度と来るもんか!」と完全に頭に来て鍼灸院を出た。
帰りの道で腰が軽い気がしたが、治療後に軽くなるのは何回かあったので
「受けた後に楽になるのは当たり前だよ。寒い中、裸で1時間も待たせて風邪ひいちゃうよ!二度と来るもんか!」
と怒りながら帰った。
つづく。
高校生の時に腰痛になって「整体」にも行った。ただ、この時に行った整体は「野口整体」系の整体ではなく、いわゆる民間手技療法のところであった。「野口整体」の説明は後で井本整体の時に詳しく書きます。
この時行った整体は、爺ちゃんが連れてってくれた。なんでも昔は100人くらい行列ができる程の人気だったらしい。爺ちゃんオススメの整体院であった。
茨城県にあり自宅から車で30分のところであった。車でないと行けない辺ぴな場所だった。
私が初めて行った時は2.3人待っている程度であった。
年配の先生が一人でやっていて待合室と治療室、それぞれ6畳くらいの広さであった。
初診にて私の骨盤を先生が触って
「赤ん坊の時に歩行器乗っただろ?」と聞かれた。が、私も爺ちゃんも分からなかった。
後日、母に聞いたら乗ってたらしい。
2回目行った時にその事を言うと、
「赤ん坊の時に歩行器に乗ったのが原因だ!その為に骨盤が狭くなっている!」と説明された。
そう言われて学校で友人と比べたら確かに狭い感じがした。
高校生の私はもちろん素人なので、それが原因なんだ!と信じて通い出した。
治療は骨盤を広げる為に仰向けの私の左右の骨盤の前の骨(上前腸骨棘)に立って乗っかり広げるように体重をかけて、よいしょ、よいしょと足で広げる動作をした。
今思うと大そうな荒治療であり、そんなことして大丈夫?って感じだが、骨盤は強靭でありびくともしなかった。
それから足で背中や脚を踏んでマッサージして、カイロで使う木槌で脚を叩いたりした。
全体に荒治療であり刺激が強かったせいか終わると楽になったような、痛みが麻痺したような感じがした。
それから骨盤が広がれば治ると信じ、週一で通った。
また当時の私の心境として病院でも異常なしと言われ、他でもはっきりした事は分からなくて、とりあえず痛みの原因が分かった(?)だけでも嬉しかった。
その後4ヶ月ほど通ったが、根本的には良くなってなく、また車でないといけないためにだんだん行なかなくなった。
今、治療家になった私としては「歩行器で骨盤が狭くなった為に腰痛になった」という話は、ないと思う。ただこの治療法で仙腸関節に何からの作用があり腰痛が治るのはあり得るかもしれない。
骨というのは硬いのでずっとそのまま変化しないと思われるが、実は常に新しい細胞に作り替えられている。
とくに子供の頃は例え骨折して変形したとしても大人になるにつれ徐々に真っ直ぐに治っていることもある。
仮に小児の時に歩行器で骨盤が狭くなったとしても、そのまま狭いまま成長すると考えにくい。
つづく。
高校生の時、腰痛でカイロプラクティックにも2ヶ所行った。
カイロプラクティックとはアメリカ発祥であり身体の構造(特に脊椎)と機能に注目した手技療法を特徴とする療法である。 施術法は様々で、主に脊椎やその他の身体部位を調整することにより、痛みの軽減、関節可動域や機能の改善、身体の自然治癒力を高めることを目的としている。
アメリカでは「カイロドクター」として正式な医療資格になっているが、日本においてはカイロプラクティックは国家資格ではない。
そんなカイロプラクティックだが、私が行った1ヶ所目は越谷にあった、
通学途中の道で看板を見て行ったのだと思う。
私が「カイロプラクティックに行く」と言ったら友人も「治療を見てみたい」と一緒に付いてきた。
そこはマンションの一室でおじさん一人でやっているようだった。高校生2人組が来るのが珍しいのかお菓子をたくさんくれた。友人は待ちながらお菓子を食べていた。
カイロプラクティックの治療は、大きな木槌とT字の木で背骨や腰を叩く治療だった。
背骨を触り「ココがズレている」と言いながら木槌で背骨をトントンとされる。
背骨を叩かれて気持ち悪かったが治るのかと思って我慢していた。しかし治療が終わっても全く良くなっていなかった。ほぼ行った時と変わらず一回しか行かなかった。
なんとなく先生も自信ないような頼りない感じがした。
一緒に行った友人は、お菓子をたくさん食べれて満足し「カイロプラクティックって良さそうだね!」と言っていた。
2ヶ所目のカイロプラクティックは健康雑誌で見つけた。名前は忘れたが都内の有名なカイロプラクティック院のようだった。
行ったらとても広い治療室でベットが30台くらあって、先生も10人くらいいた。
そこでは、まず近くの病院に連れてかれ背中や腰のレントゲンを撮った。そのフィルムを持ってカイロ院に戻った。
カイロ院では、先生がフィルムに鉛筆で縦横に線を描き、骨盤がどうとかこうとか、背骨がどうとかこうとか説明してくれた。
高校生の私は「ふーん、そんなもんなのかなー」と思って聞いていた。
治療はまずマッサージを30分ほどした。
それから偉そうな先生が20分くらいカイロ専用ベットでガシャンガシャンしてくれた。
治療後は凄い楽になった。
もしかして治るかも?と期待していたが、次の朝には元に戻っていた。
それでも治療後はすごく良かったので6回ほど通った。しかし、そこは東京でも神奈川に近い東京で春日部からは遠かった。通うのも大変だった。
そして通ううちに、良くなっているのはカイロプラクティックではなく、その前のマッサージで良くなっている気がしてきた。
最初にマッサージを受けた後、カイロベットに行く途中にすでに腰痛が消えてる。
ガシャンガシャンやられたけ後は特に変わらない。
これは今だから分かるが、この時のマッサージは「指圧」だった。
マッサージと指圧、何が違うの?と思われると思うが、手技療法は「あん摩」と「マッサージ」と「指圧」はやり方が違う。
「あん摩」は筋肉に圧を加え手を揺らし筋肉をほぐしていくやり方であり日本古来の療法である。
「マッサージ」は体の遠いところから近いところに向かって撫でるようにして血液、リンパ液の流れを良くしていくやり方であり、西洋が発祥でオイルなどを使うのが正式なやり方である。
「指圧」は、拇指を使って筋肉やツボに圧をかけていくやり方で、手は揺らさない。浪越徳次郎氏やその時代の療術家によってつくられた療法である。
ここでの「指圧」は指圧の専門学校の出身者だったのかもしれない。凄く上手かった。
ここでは本物の指圧は気持ちいいし楽になるのを知った。
しかし結局、ここのカイロプラクティックでも腰痛は治らなかった。
つづく。
高校時代、腰痛が治るまでに接骨院、整骨院にあらためて数えると5ヶ所も行っていた。接骨院は一番身近でもあり通いやすかったのかもしれない。
2ヶ所はすでに書いたが、他にも3ヶ所行った。
3ヶ所目は昔からある接骨院で上手いと評判のところであった。
親から紹介され行ってみると、おじいちゃん先生が一人でやっている接骨院だった。電気治療はなく、腰をさするようなマッサージを5分くらいしてから和紙の黒い湿布(通称どろ湿布)を腰に貼り、晒しを巻くというものであった。「上手い」と聞いて期待して行ったのだが、「え!これだけ?」って感じで、拍子抜けして帰ったことを覚えている。
これは今だから言えることだが、接骨院は本来、骨折、脱臼、打撲、捻挫などの外傷のスペシャリストである。ここの先生は外傷が得意だったのだろう。
4ヶ所目の接骨院は、私の親戚のおじさんの友人がやっている接骨院だった。
私の腰痛が治らないと聞き心配しておじさんが連れてってくれた。しかし、問診し電気と10分はどのマッサージの施術を受けたがあまり良くならなかった。腹筋を鍛えるように言われやってみたが、全く変わらずやめた。1回行っただけであまり印象に残っていない。
5ヶ所目は高3の夏頃、「もう腰痛は治らない」と諦めてどこにも行かないでいた時期だったが、自宅近くに新しい接骨院ができたので行ってみた。
簡単な問診をして「腰が痛いの?じぁあマッサージと電気するね。」と、何が原因とかは言わないで、ただマッサージと電気を受けた。しかし思いのほかマッサージが上手い先生だった。
近所だしマッサージも上手かったので週に2回ほど1ヶ月通っていたら、ある日、奥さんと思われる人とヒソヒソ裏で話してるのが聞こえてきた
先生「あの子、なんで来るのかな?」
奥さん「痛いんじゃないの?」
先生「なんで痛いのかな〜?」
奥さん「知らないわよ。」
みたいな会話だった。
今の施術する側になった私からするとありえる話だが、当時の高校生の私は
「なんか来ちゃいけないのかな?」
と思い行かなくなってしまった。
そんな感じで接骨院、整骨院を5ヶ所も行き治療を受けたが、総じてあまり良くならなかった。
というのも当時の接骨院は外傷がメインであり慢性腰痛などは専門外だったのかもしれない。
ちなみに接骨院、整骨院の資格の正式名称は「柔道整復師」という国家資格である。名前に柔道とつくのは柔道で怪我をした人を治すのがルーツになっているためである。
なので古くからある接骨院の隣には柔道場があったりする。
私が柔道整復師の学校に行った時は、まだ師弟制度のようなものがあり、同級生も何人か偉い先生の接骨院に住み込みをしていた。いわゆる弟子修行というやつだ。
ある友人は朝は先生の犬の散歩、それから学校に来て、帰って接骨院の仕事、夜は柔道の練習。それで給料(?)月2万とかだった。
今風に言えば、超ブラック、パワハラ当たり前の世界であった。
それが嫌で学校を辞めた同級生も何人かいた。
現在は師弟制度はなくなったと思う。
しかし師弟制度も良いところもある。特に技術が勝負の世界は、学校では教わらない技術というものがあるものだ。
私も鍼灸の先生に弟子入りしたが、弟子入りした事が今の自信に繋がっている。
つづく。
高校2年生になっても腰痛は相変わらずであった。
当時は今みたいにネットもない時代だったので、雑誌や本で腰痛に効果のある治療法を自分で探し始めた。
本屋で当時流行っていた腰痛に効くという「バラコン療法」を見つけた。作者は故五味雅吉(ごみまさよし)氏。
本を読んでみると五味さん自身が慢性の腰痛で苦しんでいたが、ある日、同僚に仙骨に乗ってもらったところボキっ!という音がして腰痛が治ってしまったそうだ。それから腰痛を研究し「仙腸関節のズレが腰痛の原因になっている」と発見。
仙腸関節のズレを治すバランス・コントロール(バラコン)療法を確立した。そして腰にゴムバンドを巻いて仙腸関節のズレを治すバラコン体操も創作された。
当時は五味さんの本が本屋に何冊もあり私も数冊買った。
そして、その本の裏に各地の「バラコン治療院」が紹介されていた。早速、自宅から一番近い越谷の治療院に予約して行ってみた。
治療院は普通の1軒家だが、家自体が治療院として使っているらしかった。1階が待合室で2階が治療室になっていた。
治療は床にうつ伏せに寝て片足を先生が持ち上げて仙腸関節を足で調整するのがメインの調整法だった。それ以外には腰部、腹部の指圧もやってもらった。
バラコン治療院は、患者さんがたくさんいてとても忙しそうだった。先生も疲れているように見えた。
治療を受けてどうだったかと言うと、あまり効果がなかった。帰りにバラコンゴムを買って自宅で体操もしてみたが、特に腰痛は改善しなかった。
3回ほどいったが、結局楽にならず私には合わなかったのかもしれない。
ちなみに仙腸関節のズレを治すという治療法は、後年、医師の博田節夫先生が提唱したAKA療法(関節包内療法)の代表的な手技としても有名になった。
一時期、AKA療法が流行った時があり、特に柔道整復師の先生達が皆んなやっていた。
私も教わってやったが、効果は微妙であった。
ちなみにバラコンゴムバンドは、今は骨盤に巻く「骨盤バンド」として病院、整骨院に広く普及している。
ただ厳密にいうと、五味先生のバラコンゴムバンドは生ゴムのチューブ状のものである。それに対して普及している「骨盤バンド」は12cmくらいの板状のゴムバンドである。
つづく。
皆さんはインスピレーションを体験したことがあるだろうか?
よく結婚する人と初めて会った時にビビっときた!みたいなことである。
有名な話ではマザーテレサが電車に乗っている時に「貧しい人に尽くしなさい。」とのインスピレーションがあったのがきっかけでシスターになり、インドでの活動を始めたと語っている。
私の場合、何回かあるのだが最初にして最大のインスピレーションは高校2年生の時にあった。
好きだった音楽を聴きながらボーっとしていると、突然「鍼灸ー!!」という頭の中にカミナリが落ちたような強いインスピレーションを受けた。
半分寝ているような状態だったので
「え、鍼灸??」
「・・・」
「なに??」
ボーっしていたが、少しして意識がハッキリしてくると
「鍼灸?鍼灸なんて受けたけど全然効かないじゃん!馬鹿らしい、鍼灸がなんだっての」
と、なんだか分からない「鍼灸」というインスピレーションに対して随分と否定的な自分がいた。
しかし、まさか鍼灸の世界に数年後に自分が入ることになるなどこの時は夢にも思っていなかった。
この時は鍼灸は全く効かない治療だ!と思っていた。
つづく。
高1の秋頃だったか、「一度大きな病院で診てもらった方がいい」と総合病院を受診した。
レントゲンを撮ったが、やはり異常なし。
次に当時はまだ珍しかったMRIを撮った。
しかし、結果は異常なかった。
「痛くないはずなんだけどな。本当に痛いの?どこも悪くないよ。異常ありません。」と医師に言われた。
どこも悪くないと言われても痛いのは痛いんだ。
なんだか腰痛を認めてさえもらえない気がして病院に見放された気がした。なんともいえない絶望感を感じた。
それから病院に行っても何もしてくれない。自分で治す方法を探そうと思い始めた。
少しして学校に行く途中で「鍼灸」の看板を見かけた。「鍼灸」は初めてで抵抗あったが電話して行ってみた。
そこの鍼灸院は先生は盲目だった。
鍼灸を初めて受けたのだが、思ったより痛くなかった。しかし、正直あまり効いた感じはしなかった。
帰りに「良くなった?」と先生に聞かれ、本当は痛みは変わってなかったが「まだ痛いです。」とは言いにくく「良くなりました。」と言ってしまった。
先生は奥さんと一緒に「良かったね!」と、喜んでくれたが、逆に私は自分の腰痛が治らないことがなんだか切なくなった。
それでもそこの鍼灸院には週に一回、一ヶ月ほど行った。しかし結局、良くならなかった。
2つ目の鍼灸は誰の紹介か忘れてしまったが、鍼灸整骨院に行った。
そこは服を着たまま鍼をやるという、今では考えられないやり方だった。
2ヶ月ほど通っただろうか、何人かの先生がいて院長と若い先生が交代で鍼をしてくれた。
やはり院長先生の鍼が一番楽になった。(次の日には痛みは戻っていたが。)
また若い先生の鍼で次の日痛みが強くなったことがあった。
そのことを言うと「鍼で痛みが強くなることはありえない!」と言われ、「ありえないと言われても実際痛くなったんだし。」この先生は信頼できないと思った。
そこの鍼も2ヶ月ほど通ったが結局良くならなかった。
そんな感じで2ヶ所で鍼灸を受けたが、効果がなく「鍼灸」って効かないんだなーと思った。
つづく。
以前、私(院長高橋)の治療家を志したヒストリーを旧Amebaブログで書いたのですが、携帯変えたらアカウントが分からなくなり更新できなくなってしまったので、こちらに再度書いていこうと思います。
私の個人的な趣味みたいなブログです。
お時間ありましたらお付き合い下さい。
私の高校時代のほとんどは腰痛だったと言っても過言ではない。高校の友人からすると「あーあの腰痛の高橋君ね。」という感じで、私の腰痛は友達にも有名であった。
最初に痛くなったのは高校1年生の6月頃だったと思う。
とくにスポーツをしたとか、ケガをしたとかではなく自然に(?)痛くなった。
どんな痛みかというと運動できない程ではないが常に痛い。
授業中、座っているのがつらく痛い。じっとしてるのがつらい。
痛みの種類は鋭い痛みというよりは鈍痛が常にある感じだった。
腰痛になり最初は自宅近くの子供の頃に婆ちゃんに連れてってもらった接骨院に行った。子供の頃に手首や足首を捻挫して通ったなじみの接骨院だった。先生は剣道の師範もしており「凛」とした清潔感がある人だった。
そこでは腰をさする様なマッサージや電気を受けた。その日は少し楽になった気がしたが、次の日はまた痛い。それでも「そのうち良くなるだろう。」と思い2ヶ月ほど通ったが、結局良くならなかった。
その頃、学校で保健室に行く用事があり保健室の先生に腰痛のことを話したら
「整形外科に行った方がいいんじゃない?」と言われ整形外科に行った。
整形外科ではレントゲンを撮ったが異常はなかった。
「骨に異常はないけど痛いなら注射しましょう!」と痛み止めの注射をした。
またガッチリしたコルセット作って「起きてる時は常に付けておくように」言われた。
痛み止めの注射をすると、感覚そのものがなくなる感じで良い感じはしなかった。治ったのとは違った感覚だった。
またコルセットも苦しいだけで腰痛は何も改善されなかった。
結局、この整形外科は3回行ったが全く良くならずに行くのやめた。
それから少しして母親が職場で
「春日部の〇〇接骨院が有名でいいらしいよ。」と聞いたらしく行ってみた。
確かに有名な先生らしく壁に芸能人の色紙や有名人と一緒に撮った写真などが飾られていた。
初診はその先生が診てくれたが、次からは他のスタッフの担当だった。主にマッサージと電気をかけられただけで治療後は少し楽になるが次の日には戻ってしまうのを繰り返した。結局、ここでも良くはならなかった。
2ヶ月くらい通っただろうか。
それから簡単に治ると思っていた腰痛が治らず痛みを感じながら毎日を送っていた。
そんな高校時代の唯一の楽しかった思い出はギター部の友達、先輩と歌ったりおしゃべりをしている時であった。
話は変わるが腰痛について「野口整体」では
「腰が硬くなると頭も頑固になる。」
と言われている。
年を取り腰が硬くなってくると他人の意見を受け入れられなくなる。
私自身も腰痛だった当時を思い返すと、新しい事を受け入れる余裕がなかった気がする。
また気持ちも暗くなり前向きなれなかった。
学校で勉強していても、まずじっとイスに座っているのがツラい。腰痛が気になって集中できない。教科書を読んでも内容が頭に入ってこなかった。
そんな感じで、高校入学直後のテストで学年2番だった成績は、あっ!という間に急降下。
1年の終わりには下から数える方が早くなってしまっていた。いつも三者面談の話の内容は成績ではなく腰痛の話であった。
私の経験からすると、腰痛のお子さんを持つ親御さんは、塾に行かせるよりまずは腰痛を治した方がいいと思います。
最近は「腸脳相関」という言葉があり腸と脳は密接に関係してると言われてます。
また、腸と腰は表裏であり、もちろん大いに関連してます。
つまり「脳=腸=腰」は関係してると言えるでしょう!
腰痛を治すと頭の働きも良くなる!
腰痛を治すと気持ちも前向きなり性格も明るくなる!
そんな気がします。
高校生のころの私はいつも暗い顔をしていた。
つづく。