Blog記事一覧 > 院長ヒストリー | 春日部市高橋はりきゅう整骨院|鍼灸・腰痛 - パート 4の記事一覧
自由が丘店の研修も終わり、いよいよお客さんに入ることになった。
店のマッサージは確か50〜90分のコースだったと思う。
今まで10分ほどのマッサージを知り合いなどにやった事はあったが、お金を頂き本格的なマッサージをするのは初めてであった。
そして、ついにその日が来た。
「この人は優しいから大丈夫だよ。」と店長に言われ、初めてのマッサージは50分コースで40代女性だった。
簡単な自己紹介をして、教わったとおり50分コースを緊張しながら施術した。
たぶん私が緊張しているのを感じたのだろう、マッサージした後にお客さんに
「マッサージしてどれくらいなんですか?」
と聞かれた。
(えっ!下手だった?なんて答えれば良いのか、実は初めてなんですって言っていいのか?どうしよう。。)変な汗が出てきて焦った。
「実はまだ1ヶ月ほどなんです。すいません。」
と、初めてと言えずにそう言ってしまった。
しかし、お客さんは笑顔で
「マッサージ良かったですよ。ありがとうございました。」と言われた。
あまりに緊張してぎこちなかったので励ましてくれたのだろう。
お客さんをリラックスさせるどころか、逆に気を使ってもらったようだ。
しかし、同情からでも「マッサージ良かった。」と言ってもらって嬉しかった。
それから平日1日4時間勤務の間に2〜3人、日曜は6〜8人ほどマッサージして徐々に慣れていった。
自由が丘店のお客さんは40〜50代の系列店の中では年齢層高めの落ち着いた人が多かった。
それから1ヶ月ほど研修した後、本格的な移動となった。
私は希望の店舗を聞かれたが、学校が渋谷なので渋谷店を希望した。
渋谷だったら少し時間に余裕ができ学校が終わった後、店のランチが食べれた。
そんな感じで今から約30年前、初めてのマッサージを経験したが、今の私の施術と何が違うのか?
もちろん行なっている手技も違うが、一番の違いは「身体の読み」だろう。
当時の私のマッサージはマニュアル通り。
決まった順序でマッサージするだけ。身体を読むことはできなかった。これが初心者と上級者の違いだろうと思う。
「身体を読む」とは身体の力学バランスを診たり、東洋医学の脈診、腹診、舌診、背項診や、患者さんの心理状態も診ていくことである。
これは簡単でもあり難しくもある。
初心者でもやり方を教わればみれるが、上級者になればなるほど深いレベルで身体をみることができる。
具体的に整体では
肩の位置はどうなっているのか?
骨盤の位置はどうなっているのか?
脚の長さ、開き方は?
関節の可動域はどうなっているのか?
筋肉、皮膚の張りはどうなのか?
呼吸は深くできているか!
などをみる。
また鍼灸では
脈はどうなっているのか?
舌の色は?爪の色は?
背中のツボ、手足のツボの反応は?
腹部の緊張は?
生活環境はどうなのか?
ストレスはあるのか?
などを診ていく。
また、ベテラン治療家になると言葉に出して訴えられない症状、悩みなども感じながら施術していく。
人は表面的な悩み、苦しみは訴えることはできるが、心の奥底にある本当の悩み、苦しみは言えないものである。
つづく。
マッサージ研修が終わってから実際の店舗に行って、接客がメインの研修が行われた。
私が配属されたのは自由が丘店であった。
自由が丘は学校がある渋谷から30分ほどかかった為、ゆっくり食事する暇はなくコンビニでの昼食、夜食であった。
自由が丘というとセレブが住む高級住宅というイメージがあるが、実際行くと意外と庶民的な町であった。
(今から30年前の話なので今はどうなってるか知りませんが)
駅近くには古びたお惣菜屋や定食屋、ラーメン屋などが並んでいてイメージとはかなり違っていた。
たぶん自由が丘でも庶民的な地域と高級住宅な地域があったのだろうが、駅近くは庶民的な雰囲気であった。
私が研修したマッサージ店は駅から3分くらいのところだった。
一般的に普通のマッサージ店はそこまで接客を徹底してないが、私の働いたマッサージ店はオシャレな雰囲気のマッサージだった為か接客には厳しかった。
これは接客についての私の考えだが、あまり接客が形式的になるとかえって親密度が薄れる気がする。
本音での対話ができないで表面上のやりとりになってしまうからだ。
接客はあまり形式ばらずに、1番大切なのは「相手を尊重する気持ち」だろう。そういう気持ちは伝わると思う。
ちなみに野口整体(井本整体)において、相手への心遣いについては「気づかい」「気配り」「気働き」という言葉がある。
最高のおもてなしとは、相手に気を使ってると悟らせないようにその人の心地よい待遇をする事だという。
相手の欲することを言葉なく感じて自然の成り行きの如く相手を導くことは、声なき声を聞き、訴えられない身体の訴えを感じる第一歩なのだ。
なので「気配り」「気づかい」「気働き」ができない鈍感な人は治療家には向いてないのである。
つづく。
鍼の師から「鍼灸をするには体に触り慣れないといけない。」と言われ、専門学校の空き時間にマッサージのバイトをすることにした。
面接に行き、働くことになったマッサージ院は有名下着メーカーの子会社になっており、都内の自由が丘、渋谷2店舗、銀座、新宿にお店があった。
研修施設もあり新人が入社すると1ヶ月ほどのマッサージ研修もあり、さすが大会社の子会社でそういうところはしっかりしていた。
研修はマッサージ部門代表の大谷部長(本部の部長兼マッサージ会社代表でもあった)の直属の部下の佐藤さんが担当だった。
ちなみに大谷部長、佐藤さんは鍼灸マッサージ師である。
マッサージは、その流派によってやり方が違う。
そこのマッサージ院は当時流行っていた「スポーツマッサージ」を売りにしており、あん摩指圧に加え、ストレッチを多く取り入れたものであった。
またオイルマッサージなども行なっていた。
私は正式にマッサージは習ったことがなかったが、佐藤さんが1対1で丁寧に教えてくれた。
マッサージの手の使い方やマッサージする前の筋肉の緊張、した後の変化など丁寧に教えてくれた。
今思えばバイト代をもらいながら1ヶ月も教えてもらえるなんていいバイトだった。
マッサージ院によっては研修費用を給料から天引きするところもあるのだ。
研修は最初の頃は手が慣れなくてぎこちなかったが、徐々に慣れていき、1ヶ月しないで合格をもらった。
また、そのマッサージ院はオシャレな雰囲気のマッサージ院であり、接客については厳しかった。
指導してくれた佐藤さんは裏表のないサバサバした性格で、帰る電車も同じ路線だったのですぐに打ち解けた。
それから1ヶ月予定の研修は3週間で終わり、研修後は実際の店舗に行っての研修となった。
ちなみに、このマッサージ院はスタッフ全員で40人弱いたと思うが、新しい会社で20代〜30代前半が多く学校の部活みたいなノリがあり、総じて楽しかった。
スタッフ同士はニックネームで呼び合い、仕事後によく食事や飲みに行ってるようでスタッフがとても仲が良かった。(私は夜は学校があったが、たまに飲み会に合流していた)
今振り返ると単純に楽しさだけだったら、このマッサージ院の時が1番楽しかったかもしれない。個性的なキャラの人もたくさんいた。
しかし私はG先生のような鍼灸師になるのが目標なので、マッサージはWスクールの1年だけと最初から決めていた。
それからマッサージ研修も終わり店舗研修になった。私は自由が丘店に配属になった。
しかし、自由が丘店の店長は、スタッフ皆んなから恐れらていると噂の女性店長の店であった。
つづく。
大学を卒業した年の4月から9〜12時に柔整学校1年生、18〜21時に鍼灸学校3年生というWスクール生活がスタートした。
ちなみに専門学校は3年なので1年だけWスクールになる。
学校が渋谷なので一度自宅に帰るのも時間が中途半端であった。
春日部から渋谷までは当時は1時間半かかった。
空いた時間でバイトでもしようと思ったが、バイトをするにしても、どうせやるなら将来の仕事に活かせるバイトが良かった。
鍼の師のG先生から
「鍼を打つにはまず体に触り慣れないといけない。最初はマッサージをすると良い。」
と言われていたので、どこかマッサージのバイトを探すことにした。
しかし、平日の13〜17時という時間で雇ってくれるところがあるのか?
当時の求人は鍼灸の業界誌「医道の日本」しかなかった。その本の後ろのページにある求人に電話してみることにした。
本に載ってるマッサージ院に片っ端から電話したが、ほとんどのところは断られた。
1件だけ「日曜も出れるなら来てもいいですよ。」と言ってくれた。
数日後、面接に行ってみると、ちょっとオシャレなマッサージ院だった。都内に数カ所あり、大手下着メーカーの子会社であった。
まだ新しい会社らしくスタッフ皆20〜30代と若かった。代表の大谷さん(仮名)も35歳くらいだったと思う。
面接では
「日曜は出れますが、平日1日は休ませてください。」と言い、採用となった。
日曜働くのは苦ではなかったが、平日1日休みが欲しかった。
学校の空き時間に自分の時間が欲しかったのだ。
平日の空き時間は、渋谷をぶらぶら探索したり、カフェでのんびり過ごしたり、映画を見たり、卒業した大学の図書館に行って勉強したり陶芸部で陶芸したり、献血したりして、忙しい毎日の唯一の息抜きの時間だった。
新しく始まった柔整学校は週に一度柔道の授業があった。柔道で組み合ったりするせいか鍼灸学校の時よりクラスメートと仲良くなるのが早かった。
柔道は経験者と未経験者がいたが、経験者といっても強豪大学出身者も多く、素人とは全くレベルが違っていた。
指導の先生もオリンピックの選考までいった有名な先生だった。
一度だけ乱取りで組ませてもらったが、5秒くらいで投げられた。しかし痛くなった。上級者に投げられると痛くないのだ。むしろ投げられて気持ち良い。
また、柔道では受け身を最初に習うが、これは実生活で役に立つ。
もう10年以上前になるが、整骨院の外の電球を丸イスに立って交換していてバランスを崩して倒れた時があった。
イスから前に倒れ地面に頭を強打するところだったが、とっさに1回転、前回り受け身をしてなんともなかった。ニャン子先生のようだった(古い!)
頭を強打したり、手をついて骨折したら大変だった。
また、自転車で転倒した時も受け身をとって怪我は無かった。
今までに「受け身を教わっておいて良かった〜」と思ったことが何回かあった。
受け身オススメです!
つづく。
柔道整復師の専門学校にも合格し、来年からは柔整学校1年生、夜間の鍼灸学校3年生になる。また大学はなんとか卒業できそうな見込みができた。
柔整の学校に行くようになると大学のようにテスト一発勝負とはいかないので、午前中は柔整学校、夜は鍼灸学校となりG鍼灸院では働けなくなってしまった。
思えば高校3年間痛かった、どこに行っても治らなかった腰痛を治して頂いてから約5年間、患者として、弟子としてG先生にはお世話になった。
鍼灸について、また人を治療するということについて全く無知った私にいろいろ教えて下さった。
G先生は鍼治療に人生をかけ情熱を注いでいた。
治療家なら治療に熱心なのは当たり前だと思うかもしれないが、この業界に入ると意外と治療に情熱がある人が少ないのが分かる。
向上心を持って学び、患者さんを第一に考えて仕事をしている人は1割程度ではないだろうか?
ほとんどの治療家は惰性で治療をしている。日々、向上心を持って勉強している治療家は一握りしかいない。
もちろんG先生は治療に心血を注ぎ、常に新しいことをチャレンジしていた。
私はG先生に鍼灸の技術も教わったが、技術以上に治療家のあるべき姿を先生の日常から教わった気がする。
縁あってG先生と出会い鍼灸の素晴らしさを経験させて頂いた。G先生と出会わなければたぶん鍼灸はやってなかっただろう。
私の人生は別の方向に向かっていた。
しかし、G先生と出会い治療家の道を歩んで良かったと思う。
G先生の治療に対する情熱はG先生の人生そのものであった。
その情熱はいつしか私の心にも燃え移り、30年経った今でも消えることない。
G先生から受け継いだ情熱は、私の生涯の灯火となり私の人生をこれからも照らし続けてくれることだろう。
鍼灸修行編 『完』
G鍼灸院には何人か不妊症のご夫婦が来ていた。
その方は30代だったと思う。
痩せ型のご婦人で、ご夫婦で鍼灸院に来ていた。
私が働く前から鍼灸を受けていたようだったが、私が働いてからは半年ほど経っていたと思う。
そんなある日、ご婦人はいつものように鍼灸を受けるためにベットに寝て待っていた。
少ししてG先生が来て、お腹を触った後
「妊娠してます。受精して2週間経ってます。」
と突然おっしゃった。
(え?本当?)
私も近くで聞いていて驚いて、他のスタッフと顔を見合わせてしまった。
ご婦人も突然の言葉に驚きながらも喜んで
「あ、ありがとうございます。」
と言うのが精一杯で、目には涙が潤んでいた。
少しして私とスタッフで
私「本当ですよね?妊娠2週間で分かるんですかね?」
スタッフ「本当でしょ。違ってたら大変だよ。」
と話した。
確かに、鍼灸では「脈」で妊娠が分かると言う。
しかし、この時先生は脈診はしてない。数秒お腹を触っただけである。
「なんで分かるのですか?」と聞きたかったが、たぶん「気に決まってるだろ!そんなことも分からないのか!」と言われそうで聞けなかった。
それから本当にお腹は大きくなっていき、その後無事に出産された。
確か赤ちゃんも連れて挨拶に来てくれたのを覚えている。
ちなみに現在、うちでも不妊症のご夫婦が何人かいらしているが、基本的には冷え性の体質改善の鍼灸を行う。
私はG先生のように妊娠2週間では分からないが、それなりに頑張って鍼灸させて頂いております。
うちでも開業以来、不妊症でいらして出産されたご婦人は30人以上はいると思う。
もちろん皆さん、専門の病院に通いながらである。
つづく。
G鍼灸院でのある日のこと。
午前中、1人の70歳過ぎの男性が初診で来た。
腰痛が主訴だったが、先生は特に変わりなくお腹、腰の鍼をしてその方は帰宅した。
男性が帰って少ししてから、男性の家族(娘さん)が鍼灸院に来た。
娘さんは、「先生にお話したいことがあるんです。」
と、先生と直接話したいと待っていた。
少ししてから先生が来た。
娘さん「先程お世話になった○○の家族なんですが、
、、」
先生「大丈夫ですよ。」
娘さん「え?でも、、、」
先生「大丈夫です。」
娘さん「先生にお伝えしたいことが。。」
先生「大丈夫です。分かってますから。癌なんでしょ?本人に言ってないんですよね。ちゃんとそっちも治療しておきましたから、大丈夫です。」
娘さん「、、、」
娘さんは、びっくりして声もでない様子だったが、少しして
「よろしくお願いします。」
と深々と頭を下げて帰っていった。
私は、目の前でこのようなことがあったが、G先生のこういう出来事には慣れてしまっていたので特に驚きもせず、さすが我が先生!と少し誇らしかった。
それから、このご家族は先生をすっかり信用してくれて家族全員で鍼灸院に来るようになった。
ちなみにこの男性の癌は、よく覚えてないが確か胃癌だった気がする。
私が働いている間は元気に来ていたが、その後どうなったのかは分からない。
とても明るいいいお爺ちゃんで、私の気功を受けて
「高橋先生の気功は気持ちいいな〜」
と、いつも言ってくれた。
その方のように、G鍼灸院には癌で来ている人が何人かいた。
つづく。
G鍼灸院は都内の下町にあり、先生はもっぱら原付バイクで往診をしていた。
下町は小道が多く、車だと通りにくくかえって原付バイクの方が便利なのだ。
ある日、私はG先生に買い物を頼まれた。
先生「バイクで20分くらいだから行ってきて。」
私「いや、バイク乗ったことないんです。」
先生「自転車は乗れるだろ?同じだよ」
私「そうなんですか?」
先生「大丈夫、大丈夫」
ということで、簡単にアクセル、ブレーキを教わって買い物に出ることになった。
原付バイクは、地元の田んぼ道を友人のを借りて1回だけ乗った事があった。
しかしほとんど経験なく、今考えるとかなりのむちゃぶりだったと思う。
しかも都内の交通量が多い入り組んだ道だ。
しかし、G先生のいいつけを断れるわけもなく、しかたなく行くことにした。
乗ってみると確かに難しくはなかったが、なんせ道もよく分からない交通量が多い東京、不安しかなかった。
行きは教えられた道を行き、とりあえず到着できた。
買い物を済ました帰り道、いつのまにか行きと違う道を走っている事に気づいた。
あれ?おかしいな?と思い「勘」で方向を変えて走ったのだが、下町独特の入り組んだ小道に入ってしまい方向感覚が全く分からなくなってしまった。
分からないまま走っていると、いつのまにか大きな橋に出て川を越えてしまった。
別の区に来ちゃった?と、明らかにとんでもない場所を走ってるのに気づいた。
このまま走っていても帰れないと悟り、人に聞き聞き走り、結局1時間ほどかかって帰ってきた。
とりあえず事故もなく無事帰れて来れてホッとした。
土地勘もなく、慣れない東京で乗ったこともないバイクでちょっとした冒険だった。
そんなハラハラドキドキの買い物は、先生お気に入りのラーメン屋さんのテイクアウトだった(笑)
帰りに時間がかかり伸びてしまっていたと思うが先生は何も言わずに
「やっぱりここのは美味いな!」
と言って食べていた。
それは先生の優しさなのか、単に気づかなかっただけなのかは不明である。
つづく。
G先生は健康ランドのサウナが好きで、よく仕事後に連れて行ってくれた。
弟子入りして初めていろいろ話させて頂いたのも健康ランドであった。
そんな健康ランドのお風呂では、たまに整体の練習をしていた。
大浴場には垢すりのベットが置いてあり、そこは個室ではなく間仕切りがしてあるだけであった。
垢すりのベットが空いてる時に、勝手に使わしてもらい整体やツボの練習をしていた。
裸のままG先生にやり方を教えてもらい、G先生に施術する。
ちょっと危ない光景である。
何も裸でやらなくても。。と当時は思っていたが、裸だからこそ体の動きが良くわかったのかもしれい。
私達が空いてるベットで練習していると、他のお客さんからは変な目で見られていたが、G先生はそんな事全く気にしてない様子だった。
健康ランドで練習した整体は後日、鍼灸院でもう一度G先生に受けてもらってから患者さんに実践する。
一時期は、首、背中、腰の矯正を1日30人ほどやっていた気がする。
今でもやろうと思えばできる。
たまにスタッフにやったりするが、骨をポキポキ鳴らす矯正はあまり意味ないと思うので、今はやってない。
最近、骨をポキポキ鳴らす矯正がSNSで流行っているが私は否定的である。
骨の周囲の筋肉を緩めないと意味ないし、無理に鳴らすのはただのパフォーマンスでしかない。
特に首の矯正は事故も多い。
それよりも筋肉を緩めることにより関節の動きを良くする方が良いと思う。
私が教わった矯正法は「南条式活法」と言っていた。
つづく。
大学4年、夜間部鍼灸学校2年のWスクールも後半になり、大学卒業後どうするか迷っていた。
G先生に相談したところ
「柔整(接骨院)学校に行けるなら行った方がいいかもね。」と言われていた。
しかし、私は柔整にはいまいち興味がなく鍼灸一本でやりたかったので、G先生にそう言われて迷っていたのだ。
それから再度、G先生に相談すると
「とりあえず受けてみれば?たぶん受からないよ。難しいから、知り合いの鍼灸師も何年も勉強して受けて受からないんだよ。」
と言われた。
鍼灸の同級生で柔整(接骨院)の資格を持っている人もいるので何人かに聞いたら
「どこか偉い先生に弟子入りするか、口利きをして貰わないと難しいじゃないかな?」
と言っていた。
「そっか、柔整は難しいのか。」柔整が難しいのを知った。
当時の柔整学校は倍率が高く入学が非常に難しかったのである。
ちなみに、今は学校が乱立し定員割れしていて学費を払えば誰でも入れる。
私は、とりあえず受けてみてダメならまた考えようと受験を決めた。
受験を決めたのはいいが、受験する前に大学が卒業できるかの問題もあったが。
それから結局、通っている鍼灸と同じ学校の柔整の昼間部を受験した。
結果は、、
みごと、、『合格!!』
G先生は驚いていたが、Mさんは
「僕は高橋君なら受かると思ったいたよ。お世辞じゃなくて。」と言ってくれた。
さすが大企業の人事部長!見る目がある!
G先生は業界のことを知っていたため、逆に難しいと思っていたのだろう。
入学テスト自体は高一くらいのレベルのテストであり、正直簡単だった。
ただ当時の柔整はテスト以外の要素があり、合格は受けてみないと分からなかった。
実際、学校に入学してみると、入学初日にもかかわらず先生と知り合いだったり、生徒同士も知り合いだったりした。ここって実力で入学した人は何人?って感じだった。
その後、無事に大学も卒業できて、
柔整の昼間部1年生、夜間部鍼灸3年生のWスクールの生活が始まるのだが、
専門学校は大学と違って毎日行かなければならず、
G鍼灸院のバイトは一旦辞めることになった。
つづく。