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G鍼灸院は都内の下町にあり、先生はもっぱら原付バイクで往診をしていた。
下町は小道が多く、車だと通りにくくかえって原付バイクの方が便利なのだ。
ある日、私はG先生に買い物を頼まれた。
先生「バイクで20分くらいだから行ってきて。」
私「いや、バイク乗ったことないんです。」
先生「自転車は乗れるだろ?同じだよ」
私「そうなんですか?」
先生「大丈夫、大丈夫」
ということで、簡単にアクセル、ブレーキを教わって買い物に出ることになった。
原付バイクは、地元の田んぼ道を友人のを借りて1回だけ乗った事があった。
しかしほとんど経験なく、今考えるとかなりのむちゃぶりだったと思う。
しかも都内の交通量が多い入り組んだ道だ。
しかし、G先生のいいつけを断れるわけもなく、しかたなく行くことにした。
乗ってみると確かに難しくはなかったが、なんせ道もよく分からない交通量が多い東京、不安しかなかった。
行きは教えられた道を行き、とりあえず到着できた。
買い物を済ました帰り道、いつのまにか行きと違う道を走っている事に気づいた。
あれ?おかしいな?と思い「勘」で方向を変えて走ったのだが、下町独特の入り組んだ小道に入ってしまい方向感覚が全く分からなくなってしまった。
分からないまま走っていると、いつのまにか大きな橋に出て川を越えてしまった。
別の区に来ちゃった?と、明らかにとんでもない場所を走ってるのに気づいた。
このまま走っていても帰れないと悟り、人に聞き聞き走り、結局1時間ほどかかって帰ってきた。
とりあえず事故もなく無事帰れて来れてホッとした。
土地勘もなく、慣れない東京で乗ったこともないバイクでちょっとした冒険だった。
そんなハラハラドキドキの買い物は、先生お気に入りのラーメン屋さんのテイクアウトだった(笑)
帰りに時間がかかり伸びてしまっていたと思うが先生は何も言わずに
「やっぱりここのは美味いな!」
と言って食べていた。
それは先生の優しさなのか、単に気づかなかっただけなのかは不明である。
つづく。
G先生は健康ランドのサウナが好きで、よく仕事後に連れて行ってくれた。
弟子入りして初めていろいろ話させて頂いたのも健康ランドであった。
そんな健康ランドのお風呂では、たまに整体の練習をしていた。
大浴場には垢すりのベットが置いてあり、そこは個室ではなく間仕切りがしてあるだけであった。
垢すりのベットが空いてる時に、勝手に使わしてもらい整体やツボの練習をしていた。
裸のままG先生にやり方を教えてもらい、G先生に施術する。
ちょっと危ない光景である。
何も裸でやらなくても。。と当時は思っていたが、裸だからこそ体の動きが良くわかったのかもしれい。
私達が空いてるベットで練習していると、他のお客さんからは変な目で見られていたが、G先生はそんな事全く気にしてない様子だった。
健康ランドで練習した整体は後日、鍼灸院でもう一度G先生に受けてもらってから患者さんに実践する。
一時期は、首、背中、腰の矯正を1日30人ほどやっていた気がする。
今でもやろうと思えばできる。
たまにスタッフにやったりするが、骨をポキポキ鳴らす矯正はあまり意味ないと思うので、今はやってない。
最近、骨をポキポキ鳴らす矯正がSNSで流行っているが私は否定的である。
骨の周囲の筋肉を緩めないと意味ないし、無理に鳴らすのはただのパフォーマンスでしかない。
特に首の矯正は事故も多い。
それよりも筋肉を緩めることにより関節の動きを良くする方が良いと思う。
私が教わった矯正法は「南条式活法」と言っていた。
つづく。
大学4年、夜間部鍼灸学校2年のWスクールも後半になり、大学卒業後どうするか迷っていた。
G先生に相談したところ
「柔整(接骨院)学校に行けるなら行った方がいいかもね。」と言われていた。
しかし、私は柔整にはいまいち興味がなく鍼灸一本でやりたかったので、G先生にそう言われて迷っていたのだ。
それから再度、G先生に相談すると
「とりあえず受けてみれば?たぶん受からないよ。難しいから、知り合いの鍼灸師も何年も勉強して受けて受からないんだよ。」
と言われた。
鍼灸の同級生で柔整(接骨院)の資格を持っている人もいるので何人かに聞いたら
「どこか偉い先生に弟子入りするか、口利きをして貰わないと難しいじゃないかな?」
と言っていた。
「そっか、柔整は難しいのか。」柔整が難しいのを知った。
当時の柔整学校は倍率が高く入学が非常に難しかったのである。
ちなみに、今は学校が乱立し定員割れしていて学費を払えば誰でも入れる。
私は、とりあえず受けてみてダメならまた考えようと受験を決めた。
受験を決めたのはいいが、受験する前に大学が卒業できるかの問題もあったが。
それから結局、通っている鍼灸と同じ学校の柔整の昼間部を受験した。
結果は、、
みごと、、『合格!!』
G先生は驚いていたが、Mさんは
「僕は高橋君なら受かると思ったいたよ。お世辞じゃなくて。」と言ってくれた。
さすが大企業の人事部長!見る目がある!
G先生は業界のことを知っていたため、逆に難しいと思っていたのだろう。
入学テスト自体は高一くらいのレベルのテストであり、正直簡単だった。
ただ当時の柔整はテスト以外の要素があり、合格は受けてみないと分からなかった。
実際、学校に入学してみると、入学初日にもかかわらず先生と知り合いだったり、生徒同士も知り合いだったりした。ここって実力で入学した人は何人?って感じだった。
その後、無事に大学も卒業できて、
柔整の昼間部1年生、夜間部鍼灸3年生のWスクールの生活が始まるのだが、
専門学校は大学と違って毎日行かなければならず、
G鍼灸院のバイトは一旦辞めることになった。
つづく。
鍼灸院では月に1回土曜19〜24時で「気」の勉強会が行われていた。
講師は前述したとおりMさんだが、当時、G先生は「中村天風」がお気に入りであり、勉強会でも「中村天風」哲学をやることが多かった。
中村天風をご存知だろうか?
大きな本屋の自己啓発コーナーに行けば、何冊かあると思うが、天風哲学を簡単に言えば「プラス思考」である。
最近、話題になったのは、あの大谷翔平が中村天風哲学の実践者ということだ。
大谷翔平だけではなく、松岡修道、石田純一なども天風哲学の実践者らしい。
松岡修道は、まさに「プラス思考」そのもの、天風哲学そのものだろう。
G先生は私に天風さんの講演のカセットテープをダビングしてくれて
「これを覚えるまで繰り返し聞きなさい」
と言われた。
天風さんの講演のテープはいろいろあるが、私がもらったのは「神人冥合」だったと思う。
たぶん講演の中でも「神人冥合」のやり方が説かれた最高の講演ではなかろうか。
うぶな私はG先生の言われるままに通勤の行き帰り、繰り返し聞き講演の話をそのまま空で言えるほど覚えてしまった。その内容、天風氏のガラガラ声は今でもほぼ覚えている。
中村天風氏の「神人冥合」はヨガの最終奥義であり、天風氏がインドで体得したヨガの最終奥義をなるべく誰でもできるようにしたやり方である。
私は今でも瞑想の中に取り入れてやっている。
「神人冥合」は「無念無想」になる方法である。
天風氏によると「無念無想」になると、宇宙と一体になり、一番「気」が入ってくる状態だという。
これは体験した人でないと分からないが、凄く疲れている時など、この瞑想をすると30分しただけで数時間寝た以上の疲労回復効果がある。
しかも心理的なストレス回復効果も絶大である。
仕事後にすごく疲れていて電車で30分実践し、その後に元気満々になった経験も何度もある。
また、いろいろストレスがある時などは心が軽くなるのを経験する。それはストレスある時にスポーツをしてストレス発散した感覚に近い気がする。
また、天風氏によると「プラス思考」の人にはプラスの気が、マイナス思考の人にはマイナスの気が入ってくると言う。
いつも明るくにこにこしている人は幸福が訪れ、いつもしかめっ面をしてマイナス思考の人はマイナスの結果が訪れる。
幸不幸は自分自身の問題であり、全ては心持ちの結果であると言う。
天風氏の「プラス思考」を絶対的積極心というが、この哲学は天風氏の講演を空で言えるほど覚えてしまった私の血肉となり、今も活きている。
中村天風氏の説明です。
↓↓
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 – 1968年12月1日)は、日本の実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。玄洋社社員、大日本帝国陸軍諜報員。孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は三郎(さぶろう)。
学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受け渡米し、世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助氏など日本を代表する実業家も含まれている。現在は公益財団法人天風会(中村天風財団)が著作等を管理している。
つづく。
「気」の博物館に行った後の頃だったと思うが、G先生は硬気功に凝っている時期があった。
硬気功とは武術気功とも言い、武術で使われる気功である。
合気道も武術気功を使っていると思われるが、私は合気道はやったことはないので詳しくは分からない。
G鍼灸院では、休憩時間や仕事後にG先生がスタッフに硬気功を行い、スタッフを飛ばしていた。
私も受けたが、受けると後ろに引っ張られる感覚があり自然と体が後ろにもっていかれてしまう。
私も硬気功のやり方をG先生に教わった。
通常の治療の気功は手をあてて「気」を相手の体に浸透させるように行うのに対し、硬気功は自分の中で「気」を溜めて息を一気に吐くのと同時に一点に気を集中し相手にぶつける。
私は友人などにやってみたが、効果が出る人と出ない人がいたが、正直、硬気功はよく分からなかった。
治療気功の方が私に合っていた。
そんなある日、G先生はいつものように仕事後に硬気功をやっていたが、その日は未体験の受付さん(女性35歳くらい)にやった。
受付さんは「怖い、嫌だなー」と恥ずかしがっていた。
私が3mほど後ろに立ち、後ろに倒れてくるのを受け止めるために構えていた。
通常、硬気功は受けると後ろに後退りしながら倒れるので、少し離れた後ろで受け止める人が待っている。
いざ!G先生が受付さんに硬気功を行うと
「あっ!」
一瞬の出来事だった。
受付さんは、後退りしないでその場で回転したように倒れ、頭を床に強打してしまった。
ひとりバックドロップ状態である。
一瞬のことで私も何できないでいた。
受付さんは頭を強打し意識がもうろうとしていた。
その後、病院で検査をしたらしい。
とくに問題なかったが、この事件以来、硬気功はやらなくなった。
そんな武術気功だったが、実際の格闘には使えるのだろうか?
私は本格的にやってないので大きな事は言えないが、実際の格闘には難しいと思う。
塩田剛三のような伝説の武術家になれば可能なのかもしれないが。
つづく。
秋頃だったと思うが、G鍼灸院で患者さん、スタッフの総勢80人ほど、大型バス2台で栃木県にある「気の博物館」に日帰りで行った。
当時は何も考えずにただ旅行を楽しんでいたが、今考えれば鍼灸院でバスツアーを開催するなんて凄いことたと思う。
しかも総勢80人ほどが参加し大型バス2台で行くなんて聞いたことがない。
行き先は「気の博物館」だったが、創設されたのは藤平光一氏である。
藤平光一氏はご存知だろうか?
藤平 光一(とうへい こういち、1920年1月20日 – 2011年5月19日[1])は、東京生まれ栃木県出身の日本の武道(合気道)家。心身統一合氣道の創始者。1969年(昭和44年)合氣道10段。現一般社団法人心身統一合氣道会会長の藤平信一は息子。
であるが、有名なのは世界の王貞治氏に一本足打法を指導し、また当時の巨人軍も指導されていたことだ。
※藤平光一氏に興味ある人は本が何冊も出てるので、そちらをご覧になって下さい。
実際、藤平光一氏がどんな指導をしていたかというと、バッターで構えた際
①肩の力を抜く
②臍下丹田に気をこめる
③重心は全て下に置く
の3つを意識する。
解説すると
①肩の力を抜く
これは上半身は完全に力を抜くということ。上半身が力んでいると体は固くなり上手く動かない。
②臍下丹田に気をこめる
臍下丹田とは臍の指3本ほど下と仙骨を結んだあたり。そこを意識するということ。
これは今風にいえば、ドローインである。
ドローインとは、スポーツ選手が体幹を安定させるために腹部の深層筋(腹横筋)を常に緊張させるやり方であるが、藤平光一先生はドローインが一般的になるかなり前にその重要性に気がついていたのである。
③重心は全て下におく
例えば腕でも意識は下に置く。足でも意識は下。下に置くことで筋肉の力みを無くすのだ。
このやり方は、現代においても全てのスポーツ、格闘技などの重要事項ではないだろうか?
私は仕事でマッサージをするが、マッサージにおいてもこれは重要だと思う。
マッサージする時、自分の力みは相手の緊張につながる。
相手が緊張し表層の筋肉が張っていると、奥の硬結に当たらない。
また、力んでいると自分も疲れる。
マッサージしていて疲れるという治療家がいるが、まだまだ修行が足りないのだ。
マッサージしていて自分の腰が痛いとか、手首が痛いのも体の使い方を間違えている、変な力が入っているのだ。
私は1日9時間くらいマッサージする日もあるが、全く疲れない。もちろん手は抜いてない。
仕事後にスイミングレッスンで1500mほど泳ぐ。
30年間働いていてどこも痛くない。
何の職人でもそうだと思うが、本当のプロは簡単そうに、さらっとやるものである。
体の使い方ができているのである。
さて、G鍼灸院で行った「気の博物館」併設の合気道の道場で、まだご存命であった藤平光一先生のお話も聞けた。
肘のデモンステレーションも披露してくれた。
肘を曲がらないように力を入れた状態で、誰かに曲げさせる。
力で曲がらないように耐えた場合は強い力を加えられると曲がってしまうのだが、肘を伸ばし「腕から気が出ている」と強く意識すると、どんなに強い力で曲げられても曲がらないのだ。
「これが気の力です。」と藤平光一先生はおっしゃっていた。
世界の王貞治さんに一本足打法を指導した先生の言うことである。やってみて下さい、面白いですよ。
帰りのバスでG先生に「高橋、司会をやりなさい。」と言われ一日のまとめを任されたが、口下手な私は上手くできずに結局G先生がやっていた。
「気の博物館」は今もあるのだろうか?
私が行ったのは、もう30年も前になる。
つづく。
鍼灸学校に行ったのは大学3年からのWスクールで、G鍼灸院でバイトを始めた後だった。
鍼灸学校にこだわりはなく、大学に行く途中の渋谷にある学校にした。
大学3.4年は昼は大学、といってもほとんど行かないでG鍼灸院でバイト、夜は鍼灸学校という生活だった。
ちなみに鍼灸学校は3年間である。
3年行った後に国家試験を受けて合格すれば鍼灸の免許がもらえる。
じつは「鍼灸マッサージ」は、それぞれ免許が違う。
「鍼師」「灸師」「あん摩指圧マッサージ師」の3つの免許なのだ。
まれに「鍼だけ受かって、灸は落ちた」なんてこともある。
共通問題と個別問題に分かれていて、両方が合格点に達しないと合格はもらえないないのである。
国家試験の合格率は8割ほどだが、学校の卒業試験を落ちて国家試験を受けさせてもらえない人もいるので、実際に免許をもらえる確率はさらに低い。
そんな鍼灸学校だが、私が鍼灸学校に入って衝撃だったのは、入学した生徒の半分くらいが鍼灸の効果を信じてない!ということだった。
入学して先生が
「鍼灸を受けた事ある人、手を上げてー」
で手を挙げた人は半分以下であった。
「鍼灸なんて効果あるの?」と思っている人も多く、本気で「鍼灸したい!」と思っている人はごく数人に思えた。
「お前らー、何のために学校入ったんだー!」と聞きたくなるばかりであった。
そういう人達は
①柔整(接骨院)の免許だけだと不安だから鍼灸もいちおう取っとく。
②親が医者、歯医者、接骨院で親に勧められた。
③大学に行けなかったから専門学校に来た。
④脱サラで何か手に職をつけようと思った。
などであった。
私は鍼灸の素晴らしい効果を体験し、G鍼灸院で患者さんが治っていくのを見て、やる気満々で入学したので、周囲の鍼灸に対する認識の違いに愕然としていた。
中には親や親戚が医者なのを鼻にかけ、鍼灸を軽んじている人達もいた。
鍼灸学校では解剖、生理、病理、東洋医学、運動学、経絡経穴などを3年間で学んだ。
そして、クラスメートには、数年前NHKのプロフェッショナルに出演した「大高茂」もいた。
NHKで大高を見た時は驚いた。
「え!あの大高?」という感じだった。
大高は学生時代から明るくクラスのムードメーカーだった。
学校で会うと何故かいつもハイタッチをして仲が良く、授業が始まる前にテーピングのやり方を教わった。
彼は堀越高校出身で学生当時から芸能人と交流があり
「高橋さん、〇〇さん(某女優)との食事会に今度呼んであげますよ!」
と何度か言われたが、卒業までついに実現しなかった。
実現しても緊張して気まずくなるだけだから別にいいのだが、。
「大高、今からでも遅くないぞ!!」
つづく。
今回はG鍼灸院の時に実際に体験した事を書こうと思う。
私はスピリチュアルは好きだが、オカルトは嫌いだ。お化け屋敷も入らない、怖い話も嫌いの怖がりなのだ。
本当は書きたくないのだが、実際体験したことなので今回だけ書こうと思う。
いくつかあるので順番に書きます。
①キャンプでの出来事
G鍼灸院で夏にスタッフと「気」の勉強会メンバーでキャンプに行ったときの話。
総勢12人くらいでキャンプに行った。場所は秘密。キャンプ場に午前に着き、昼はバーベキューをしたり釣りをしたり楽しく過ごした。
夜になり、男女のテントに別れて各々おしゃべりしたり、トランプしたり自由に楽しんでいたが、メンバーの女の子の1人が「気持ちが悪い。」と訴え、顔面蒼白でG先生のところに来た。
G先生が様子を見ていると、女の子が「気持ちが悪い」と下を向き、次にこちらを見た瞬間、話し始めると、話し方、声の発声、雰囲気、仕草がすっかり別人になっていた。
私はびっくりして思わず女の子を見た。
その瞬間、G先生に「目を見るな!」と注意され、私は目を合わさないようにしながら女の子の様子を見ていた。
G先生とMさんは「憑依だ!」と言い、
G先生は女の子を静かな「気」の良い場所に連れて行った。そこで除霊をしたそうだ。
少しして皆んなが落ち着いてからG先生は
「今来た霊は、俺が以前診ていた患者だ。若くして亡くなった女の子で俺に会いたくて来て、皆んなで楽しそうにしてたから来たんだ。」と説明してくれた。
私は初めて憑依というものを目の前で見た。
外見は同じなのに、話し方、声の発声、雰囲気、動作など全く別人になるのを見た。
テレビや、「つのだじろう」の漫画で憑依の話は聞いた事はあったが、実際に体験したのは初めてで、本当にあるんだ!と驚ろいた。
この件があり、私は人間の肉体は魂の乗り物なんだと思うようになった。また魂の世界というものは本当にあるものだと思った。
そして後日、キャンプで撮った写真を現像すると、何枚も白い円状のものが写った写真や、メンバーの顔半分の色が変わっていたり、色が変に変わっているものがたくさんあった。
そんな写真が写ったのは生涯この時だけであり、単にカメラや光の問題ではない気がする。
②富士山、霊泉ツアー
これは①ほど強烈ではないのですが、やはりG鍼灸院スタッフと「気」の勉強会メンバーで、富士山の霊泉に行った時。
車2台で、私(父の車)と、もう1台で富士山に向かっていた。行きの途中にパーキングに寄り休憩した。出発しようとしたが、なぜか私の車のエンジンがかからない。
同乗していたMさんに「高橋君、落ち着いて!」と言われたが、ブレーキを踏んでキーを回すだけである。難しいことではない。
何度試みても全くダメで、結局JAFを呼ぶことになったが、混んでいるらしく「来るのに3〜4時間かかる」と言われ待つしかなかった。
それから待ってる間、ボンネットを開けてエンジンを見たりしたが、素人ではどうしようもなく3時間ほど経過した。
旅行は日帰りを予定していたので時間がなくなってしまい
「今日はもう行けないね。車が直ってもこのまま帰ろう。」
とG先生が決断して少ししたら、なぜかエンジンがかかった。
それからJAFには断りの電話をした。
Mさんが「これは今日は行くなってことだよ。」と言ってたが、確かにそんな気がした。
あのまま行っていたら何かのトラブルに巻き込まれたのかもしれない。
この時の車は私の父の車だったが、こんな事はこの時だけで、その後1回もなかった。
また後日、車を点検したが何も異常は見つからなかった。
③ラーメン屋さん
「気」の勉強会メンバーでラーメン屋さんをやってる人がいた。
ラーメン屋さんの売上けが悪く、体調も良くないので一度G先生に店に来てもらって店の「気」を見てもらいたい、との申し出があり、G先生がメンバーの店を見に行った。
G先生は店を見ると「ここが悪いな。ここに何かある。」と指摘し、その場所を後日掘ったらしい。
今思えば、店内をよく掘れたなと思うが、掘ったら何と人の骨が出てきたそうだ。
その後、骨はお寺に収め、お店を1週間閉店してお清めしたそうだ。
それからご主人はラーメン屋さんの売上げが良くなったと言っていた。
この話はラーメン屋さん本人と一緒にいたMさんから聞いたので嘘ではないと思う。
「骨が出るなんて、そんなこともあるんだなー。」と思って当時は聞いていた。
浅草周辺の下町は、東京大空襲で多くの犠牲者が出た地区である。人の骨が埋まっていても不思議ではない。
④日本刀
これはいかにも怖そうだが、ある患者さんで日本刀が好きで集めていた人いた。ある刀を買ったら「お化け」がでるようになったそうだ。困ってしまいG先生に助けを求めてきた。
G先生は「お化けが出るとか言って困ったもんだよ。最近の往診は治療より除霊の方が多いんじゃないのか。」と、ぼやきながら往診に出かけて行った。
それから、その人の家に行き除霊をして刀を手放すように言ったそうだが、その後、日本刀を手離したかは不明だ。
日本刀など実際、人をあやめたものは「念」が残っている可能性があるので持たないほうが良い。
私だったら、くれると言ってももらいらない。
他にもまだありますが、こんなところで。
ちなみに私にはG先生のような能力はないので、こういう相談は受付ません。
つづく。
G鍼灸院で働いて4ヶ月ほど経った頃だろうか、先生から気功のやり方を教わった。
「気」については、勉強会でMさんに教えてもらっていたので、なんとなくは分かっていたが、はっきりとした認識はなかった。
先生に「まずは俺が見本を見せるから、そこに座りなさい。」
と言われ、私は椅子に座った。
先生は座った私の背中から腰にかけて1分くらいの気功をしてくれた。
それから「立ちなさい。」と言われ立つと
(え!むちゃくちゃ腰が軽い!まるで誰かにお尻を下から持ち上げてもらってる様に軽い。)
今思えば50年人生で、この時が一番軽かったと言ってもいいほど、この時はすごく軽かった。
先生に「すごく腰が軽いです!」と言うと、
「よし!それじゃあ、これをできるようにするからな。」と言われた。
「どうやって。。」
と戸惑っていたが、先生は丁寧にやり方を教えてくれた。
しかし教えてくれたが、急にできるはずもなく何度も「そうじゃない!」と言われ練習し、何とか合格点を頂いた。
それから数日後、鍼灸院にて突然
「高橋、今日から気功をやりなさい!」と言われ、言われるままに1日50〜100人くらい気功をした。
私も最初は自分自身が半信半疑でやっていたが、受けた人から「軽くなった。」とか「痛みが良くなった感じがする。」とか「高橋君の手は凄く熱くて手に何か付けてるの?」など言われ、徐々に自信もついていった。
気功をやるようになって、ある日こんな事があった。
私が気功をする箇所は、基本的に患者さんの主訴の部位なのだが、ある時、初診の患者さんがいて気功をする部位が分からなかった。
先生に「どこに気功したらいいですか?」と聞くと
「この患者は胆菅が悪いんだよ。そんな事も分からないのか!」と言われた。
(そうなんだ。胆菅に気功か。胆管はここら辺だっけ。)と、気功をやろうとすると患者さんが驚いた顔をして
「私の胆菅が悪いって何で分かったんですか?今日は腰の治療に来ただけで胆菅が悪いなんて一言も言ってません。私だって精密検査をして、この前やっと分かったんですよ。」
と言っていた。
私は「何で分かるんですかね、気で分かるって先生は言ったましたよ。」と言い気功をしたが、患者さんはとても感謝し喜んでくれた。たぶん先生の一言が大きかったのだろう。
そんな感じでG鍼灸院で、気功をやらせてもらっていた時期があった。
この時の気功体験は今の鍼灸に活きている。
鍼をする時は「気」を意識しながら施術をしている。
G先生は、ある時私に
「俺は、ただ気を追いかけているだけの人生だよ。気は極めれば極めるほど深くなっていくものだ。」
と、遠い目をしておっしゃっていた。
つづく。
G先生は仕事が終わると、よく飲みに連れていってくれた。
連れて行ってくれたと書くと、いい感じだが、実際は「高橋飲みにいくぞ!」と言われれば「NO」はない。次の日に大学のテストがあろうが「はい、喜んで!」の一択であった。
ある時、飲みながら話をしていると、G先生は私に突然ある質問を投げかけてきた。
G先生「お前の鍼の師匠は誰だと思う?」
私(え?なんで?もちらん!)「G先生です。」
G先生「違うな。本当の師匠は誰だと思う?」
私「本当の師匠はG先生です、」
G先生「違うんだよ。お前の本当の師匠は俺ではない。」
私「・・・」
G先生「今は俺のことを師匠だと思ってるかもしれないが、本当の師匠は俺ではない。
お前の本当の師匠は患者なんだよ。これから患者がお前にいろいろ教えてくれる。鍼の効果も、何が治るのか?何が治らないないのかも。身をもって教えてくれるんだよ。お前は一人前の鍼灸師になったら患者を師匠だと思って全力で治療しなけらばダメだ。俺はただの通過点に過ぎないんだよ。」
私「・・・」
私は感動なのか、何なのか分からないが、胸から込み上げるものがあり涙が溢れていた。
G鍼灸院に弟子入りして、師匠はG先生だと思い込んでいたので、それを裏切る意外な言葉に驚き、また話の内容に感動し心を揺さぶられてしまっていた。
今振り返るとG先生の言葉はよく分かる。
確かに鍼の師は紛れもなくG先生だが、G鍼灸院を卒業した後の、その後の治療家人生の方がはるかに長い。
実際、G鍼灸院を卒業した後、他でもマッサージ、整体、接骨院などで経験を積み開業し、気がつけば20年以上経った。
常に接してきたのは患者に他ならない。
患者さんに鍼の素晴らしい効果も効かなかった事も体験させてもらった。
効かなかった症状でも勉強して向上のきっかけをつくってもらった。
治療家の最大の生き甲斐は患者さんに治ってもらう事である。
G先生は自らの体験を通して私に教えてくれたのだ。
患者こそ治療家にとって一番大切な存在であるということを。
つづく。