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秋頃だったと思うが、G鍼灸院で患者さん、スタッフの総勢80人ほど、大型バス2台で栃木県にある「気の博物館」に日帰りで行った。
当時は何も考えずにただ旅行を楽しんでいたが、今考えれば鍼灸院でバスツアーを開催するなんて凄いことたと思う。
しかも総勢80人ほどが参加し大型バス2台で行くなんて聞いたことがない。
行き先は「気の博物館」だったが、創設されたのは藤平光一氏である。
藤平光一氏はご存知だろうか?
藤平 光一(とうへい こういち、1920年1月20日 – 2011年5月19日[1])は、東京生まれ栃木県出身の日本の武道(合気道)家。心身統一合氣道の創始者。1969年(昭和44年)合氣道10段。現一般社団法人心身統一合氣道会会長の藤平信一は息子。
であるが、有名なのは世界の王貞治氏に一本足打法を指導し、また当時の巨人軍も指導されていたことだ。
※藤平光一氏に興味ある人は本が何冊も出てるので、そちらをご覧になって下さい。
実際、藤平光一氏がどんな指導をしていたかというと、バッターで構えた際
①肩の力を抜く
②臍下丹田に気をこめる
③重心は全て下に置く
の3つを意識する。
解説すると
①肩の力を抜く
これは上半身は完全に力を抜くということ。上半身が力んでいると体は固くなり上手く動かない。
②臍下丹田に気をこめる
臍下丹田とは臍の指3本ほど下と仙骨を結んだあたり。そこを意識するということ。
これは今風にいえば、ドローインである。
ドローインとは、スポーツ選手が体幹を安定させるために腹部の深層筋(腹横筋)を常に緊張させるやり方であるが、藤平光一先生はドローインが一般的になるかなり前にその重要性に気がついていたのである。
③重心は全て下におく
例えば腕でも意識は下に置く。足でも意識は下。下に置くことで筋肉の力みを無くすのだ。
このやり方は、現代においても全てのスポーツ、格闘技などの重要事項ではないだろうか?
私は仕事でマッサージをするが、マッサージにおいてもこれは重要だと思う。
マッサージする時、自分の力みは相手の緊張につながる。
相手が緊張し表層の筋肉が張っていると、奥の硬結に当たらない。
また、力んでいると自分も疲れる。
マッサージしていて疲れるという治療家がいるが、まだまだ修行が足りないのだ。
マッサージしていて自分の腰が痛いとか、手首が痛いのも体の使い方を間違えている、変な力が入っているのだ。
私は1日9時間くらいマッサージする日もあるが、全く疲れない。もちろん手は抜いてない。
仕事後にスイミングレッスンで1500mほど泳ぐ。
30年間働いていてどこも痛くない。
何の職人でもそうだと思うが、本当のプロは簡単そうに、さらっとやるものである。
体の使い方ができているのである。
さて、G鍼灸院で行った「気の博物館」併設の合気道の道場で、まだご存命であった藤平光一先生のお話も聞けた。
肘のデモンステレーションも披露してくれた。
肘を曲がらないように力を入れた状態で、誰かに曲げさせる。
力で曲がらないように耐えた場合は強い力を加えられると曲がってしまうのだが、肘を伸ばし「腕から気が出ている」と強く意識すると、どんなに強い力で曲げられても曲がらないのだ。
「これが気の力です。」と藤平光一先生はおっしゃっていた。
世界の王貞治さんに一本足打法を指導した先生の言うことである。やってみて下さい、面白いですよ。
帰りのバスでG先生に「高橋、司会をやりなさい。」と言われ一日のまとめを任されたが、口下手な私は上手くできずに結局G先生がやっていた。
「気の博物館」は今もあるのだろうか?
私が行ったのは、もう30年も前になる。
つづく。
鍼灸学校に行ったのは大学3年からのWスクールで、G鍼灸院でバイトを始めた後だった。
鍼灸学校にこだわりはなく、大学に行く途中の渋谷にある学校にした。
大学3.4年は昼は大学、といってもほとんど行かないでG鍼灸院でバイト、夜は鍼灸学校という生活だった。
ちなみに鍼灸学校は3年間である。
3年行った後に国家試験を受けて合格すれば鍼灸の免許がもらえる。
じつは「鍼灸マッサージ」は、それぞれ免許が違う。
「鍼師」「灸師」「あん摩指圧マッサージ師」の3つの免許なのだ。
まれに「鍼だけ受かって、灸は落ちた」なんてこともある。
共通問題と個別問題に分かれていて、両方が合格点に達しないと合格はもらえないないのである。
国家試験の合格率は8割ほどだが、学校の卒業試験を落ちて国家試験を受けさせてもらえない人もいるので、実際に免許をもらえる確率はさらに低い。
そんな鍼灸学校だが、私が鍼灸学校に入って衝撃だったのは、入学した生徒の半分くらいが鍼灸の効果を信じてない!ということだった。
入学して先生が
「鍼灸を受けた事ある人、手を上げてー」
で手を挙げた人は半分以下であった。
「鍼灸なんて効果あるの?」と思っている人も多く、本気で「鍼灸したい!」と思っている人はごく数人に思えた。
「お前らー、何のために学校入ったんだー!」と聞きたくなるばかりであった。
そういう人達は
①柔整(接骨院)の免許だけだと不安だから鍼灸もいちおう取っとく。
②親が医者、歯医者、接骨院で親に勧められた。
③大学に行けなかったから専門学校に来た。
④脱サラで何か手に職をつけようと思った。
などであった。
私は鍼灸の素晴らしい効果を体験し、G鍼灸院で患者さんが治っていくのを見て、やる気満々で入学したので、周囲の鍼灸に対する認識の違いに愕然としていた。
中には親や親戚が医者なのを鼻にかけ、鍼灸を軽んじている人達もいた。
鍼灸学校では解剖、生理、病理、東洋医学、運動学、経絡経穴などを3年間で学んだ。
そして、クラスメートには、数年前NHKのプロフェッショナルに出演した「大高茂」もいた。
NHKで大高を見た時は驚いた。
「え!あの大高?」という感じだった。
大高は学生時代から明るくクラスのムードメーカーだった。
学校で会うと何故かいつもハイタッチをして仲が良く、授業が始まる前にテーピングのやり方を教わった。
彼は堀越高校出身で学生当時から芸能人と交流があり
「高橋さん、〇〇さん(某女優)との食事会に今度呼んであげますよ!」
と何度か言われたが、卒業までついに実現しなかった。
実現しても緊張して気まずくなるだけだから別にいいのだが、。
「大高、今からでも遅くないぞ!!」
つづく。
今回はG鍼灸院の時に実際に体験した事を書こうと思う。
私はスピリチュアルは好きだが、オカルトは嫌いだ。お化け屋敷も入らない、怖い話も嫌いの怖がりなのだ。
本当は書きたくないのだが、実際体験したことなので今回だけ書こうと思う。
いくつかあるので順番に書きます。
①キャンプでの出来事
G鍼灸院で夏にスタッフと「気」の勉強会メンバーでキャンプに行ったときの話。
総勢12人くらいでキャンプに行った。場所は秘密。キャンプ場に午前に着き、昼はバーベキューをしたり釣りをしたり楽しく過ごした。
夜になり、男女のテントに別れて各々おしゃべりしたり、トランプしたり自由に楽しんでいたが、メンバーの女の子の1人が「気持ちが悪い。」と訴え、顔面蒼白でG先生のところに来た。
G先生が様子を見ていると、女の子が「気持ちが悪い」と下を向き、次にこちらを見た瞬間、話し始めると、話し方、声の発声、雰囲気、仕草がすっかり別人になっていた。
私はびっくりして思わず女の子を見た。
その瞬間、G先生に「目を見るな!」と注意され、私は目を合わさないようにしながら女の子の様子を見ていた。
G先生とMさんは「憑依だ!」と言い、
G先生は女の子を静かな「気」の良い場所に連れて行った。そこで除霊をしたそうだ。
少しして皆んなが落ち着いてからG先生は
「今来た霊は、俺が以前診ていた患者だ。若くして亡くなった女の子で俺に会いたくて来て、皆んなで楽しそうにしてたから来たんだ。」と説明してくれた。
私は初めて憑依というものを目の前で見た。
外見は同じなのに、話し方、声の発声、雰囲気、動作など全く別人になるのを見た。
テレビや、「つのだじろう」の漫画で憑依の話は聞いた事はあったが、実際に体験したのは初めてで、本当にあるんだ!と驚ろいた。
この件があり、私は人間の肉体は魂の乗り物なんだと思うようになった。また魂の世界というものは本当にあるものだと思った。
そして後日、キャンプで撮った写真を現像すると、何枚も白い円状のものが写った写真や、メンバーの顔半分の色が変わっていたり、色が変に変わっているものがたくさんあった。
そんな写真が写ったのは生涯この時だけであり、単にカメラや光の問題ではない気がする。
②富士山、霊泉ツアー
これは①ほど強烈ではないのですが、やはりG鍼灸院スタッフと「気」の勉強会メンバーで、富士山の霊泉に行った時。
車2台で、私(父の車)と、もう1台で富士山に向かっていた。行きの途中にパーキングに寄り休憩した。出発しようとしたが、なぜか私の車のエンジンがかからない。
同乗していたMさんに「高橋君、落ち着いて!」と言われたが、ブレーキを踏んでキーを回すだけである。難しいことではない。
何度試みても全くダメで、結局JAFを呼ぶことになったが、混んでいるらしく「来るのに3〜4時間かかる」と言われ待つしかなかった。
それから待ってる間、ボンネットを開けてエンジンを見たりしたが、素人ではどうしようもなく3時間ほど経過した。
旅行は日帰りを予定していたので時間がなくなってしまい
「今日はもう行けないね。車が直ってもこのまま帰ろう。」
とG先生が決断して少ししたら、なぜかエンジンがかかった。
それからJAFには断りの電話をした。
Mさんが「これは今日は行くなってことだよ。」と言ってたが、確かにそんな気がした。
あのまま行っていたら何かのトラブルに巻き込まれたのかもしれない。
この時の車は私の父の車だったが、こんな事はこの時だけで、その後1回もなかった。
また後日、車を点検したが何も異常は見つからなかった。
③ラーメン屋さん
「気」の勉強会メンバーでラーメン屋さんをやってる人がいた。
ラーメン屋さんの売上けが悪く、体調も良くないので一度G先生に店に来てもらって店の「気」を見てもらいたい、との申し出があり、G先生がメンバーの店を見に行った。
G先生は店を見ると「ここが悪いな。ここに何かある。」と指摘し、その場所を後日掘ったらしい。
今思えば、店内をよく掘れたなと思うが、掘ったら何と人の骨が出てきたそうだ。
その後、骨はお寺に収め、お店を1週間閉店してお清めしたそうだ。
それからご主人はラーメン屋さんの売上げが良くなったと言っていた。
この話はラーメン屋さん本人と一緒にいたMさんから聞いたので嘘ではないと思う。
「骨が出るなんて、そんなこともあるんだなー。」と思って当時は聞いていた。
浅草周辺の下町は、東京大空襲で多くの犠牲者が出た地区である。人の骨が埋まっていても不思議ではない。
④日本刀
これはいかにも怖そうだが、ある患者さんで日本刀が好きで集めていた人いた。ある刀を買ったら「お化け」がでるようになったそうだ。困ってしまいG先生に助けを求めてきた。
G先生は「お化けが出るとか言って困ったもんだよ。最近の往診は治療より除霊の方が多いんじゃないのか。」と、ぼやきながら往診に出かけて行った。
それから、その人の家に行き除霊をして刀を手放すように言ったそうだが、その後、日本刀を手離したかは不明だ。
日本刀など実際、人をあやめたものは「念」が残っている可能性があるので持たないほうが良い。
私だったら、くれると言ってももらいらない。
他にもまだありますが、こんなところで。
ちなみに私にはG先生のような能力はないので、こういう相談は受付ません。
つづく。
G鍼灸院で働いて4ヶ月ほど経った頃だろうか、先生から気功のやり方を教わった。
「気」については、勉強会でMさんに教えてもらっていたので、なんとなくは分かっていたが、はっきりとした認識はなかった。
先生に「まずは俺が見本を見せるから、そこに座りなさい。」
と言われ、私は椅子に座った。
先生は座った私の背中から腰にかけて1分くらいの気功をしてくれた。
それから「立ちなさい。」と言われ立つと
(え!むちゃくちゃ腰が軽い!まるで誰かにお尻を下から持ち上げてもらってる様に軽い。)
今思えば50年人生で、この時が一番軽かったと言ってもいいほど、この時はすごく軽かった。
先生に「すごく腰が軽いです!」と言うと、
「よし!それじゃあ、これをできるようにするからな。」と言われた。
「どうやって。。」
と戸惑っていたが、先生は丁寧にやり方を教えてくれた。
しかし教えてくれたが、急にできるはずもなく何度も「そうじゃない!」と言われ練習し、何とか合格点を頂いた。
それから数日後、鍼灸院にて突然
「高橋、今日から気功をやりなさい!」と言われ、言われるままに1日50〜100人くらい気功をした。
私も最初は自分自身が半信半疑でやっていたが、受けた人から「軽くなった。」とか「痛みが良くなった感じがする。」とか「高橋君の手は凄く熱くて手に何か付けてるの?」など言われ、徐々に自信もついていった。
気功をやるようになって、ある日こんな事があった。
私が気功をする箇所は、基本的に患者さんの主訴の部位なのだが、ある時、初診の患者さんがいて気功をする部位が分からなかった。
先生に「どこに気功したらいいですか?」と聞くと
「この患者は胆菅が悪いんだよ。そんな事も分からないのか!」と言われた。
(そうなんだ。胆菅に気功か。胆管はここら辺だっけ。)と、気功をやろうとすると患者さんが驚いた顔をして
「私の胆菅が悪いって何で分かったんですか?今日は腰の治療に来ただけで胆菅が悪いなんて一言も言ってません。私だって精密検査をして、この前やっと分かったんですよ。」
と言っていた。
私は「何で分かるんですかね、気で分かるって先生は言ったましたよ。」と言い気功をしたが、患者さんはとても感謝し喜んでくれた。たぶん先生の一言が大きかったのだろう。
そんな感じでG鍼灸院で、気功をやらせてもらっていた時期があった。
この時の気功体験は今の鍼灸に活きている。
鍼をする時は「気」を意識しながら施術をしている。
G先生は、ある時私に
「俺は、ただ気を追いかけているだけの人生だよ。気は極めれば極めるほど深くなっていくものだ。」
と、遠い目をしておっしゃっていた。
つづく。
G先生は仕事が終わると、よく飲みに連れていってくれた。
連れて行ってくれたと書くと、いい感じだが、実際は「高橋飲みにいくぞ!」と言われれば「NO」はない。次の日に大学のテストがあろうが「はい、喜んで!」の一択であった。
ある時、飲みながら話をしていると、G先生は私に突然ある質問を投げかけてきた。
G先生「お前の鍼の師匠は誰だと思う?」
私(え?なんで?もちらん!)「G先生です。」
G先生「違うな。本当の師匠は誰だと思う?」
私「本当の師匠はG先生です、」
G先生「違うんだよ。お前の本当の師匠は俺ではない。」
私「・・・」
G先生「今は俺のことを師匠だと思ってるかもしれないが、本当の師匠は俺ではない。
お前の本当の師匠は患者なんだよ。これから患者がお前にいろいろ教えてくれる。鍼の効果も、何が治るのか?何が治らないないのかも。身をもって教えてくれるんだよ。お前は一人前の鍼灸師になったら患者を師匠だと思って全力で治療しなけらばダメだ。俺はただの通過点に過ぎないんだよ。」
私「・・・」
私は感動なのか、何なのか分からないが、胸から込み上げるものがあり涙が溢れていた。
G鍼灸院に弟子入りして、師匠はG先生だと思い込んでいたので、それを裏切る意外な言葉に驚き、また話の内容に感動し心を揺さぶられてしまっていた。
今振り返るとG先生の言葉はよく分かる。
確かに鍼の師は紛れもなくG先生だが、G鍼灸院を卒業した後の、その後の治療家人生の方がはるかに長い。
実際、G鍼灸院を卒業した後、他でもマッサージ、整体、接骨院などで経験を積み開業し、気がつけば20年以上経った。
常に接してきたのは患者に他ならない。
患者さんに鍼の素晴らしい効果も効かなかった事も体験させてもらった。
効かなかった症状でも勉強して向上のきっかけをつくってもらった。
治療家の最大の生き甲斐は患者さんに治ってもらう事である。
G先生は自らの体験を通して私に教えてくれたのだ。
患者こそ治療家にとって一番大切な存在であるということを。
つづく。
私がG鍼灸院で働いていた頃、G先生は断食をよくやっていた。
断食は3〜7日ほどやる。
私も今まで1週間断食を3回している。
世の中には断食道場など専門の施設もあるが、G先生や私の場合は仕事をしながら行った。
最近はファスティングなども流行っているが、ファスティングは断食に加えて酵素を飲んで体の毒素を出すようだが、私が行った頃はそんなものはなかった。
私が行ったやり方はすごく単純であり、
①食事はしない。
②1日1杯の梅干茶と1杯の野菜ジュース
③水は飲み放題
というものだった。
野菜ジュースも本当は手作りの野菜ジュースが良いのだろうが、面倒なので気に入った市販の野菜ジュースを1本飲んでいた。
最初に行ったのは20歳、2回目は30代前半、3回目は43歳頃であった。
全て働きながらの1週間断食であった。
断食をすると、
1日目はまだ余裕、夜にお腹すいたな〜と思う程度。
2日目は本格的に「腹減ったな」と思いだす。
3日目は1番苦しい。一日中食事のことしか考えられなくなる。終わったらラーメン食べよう、焼肉行こうなど気がつくと食事のことを考えている。
4日目は朝寝ぼけて「腹減った朝ごはん食べよう!」と起きるが、正気に戻り「そうだ、断食してたんだった。」と思い出し水を飲む。しかし、4日目の夜あたりから食欲のピークが過ぎ少し楽になる。
5日目は食べないことがそんなに苦ではなくなってくる。体が軽くなるのを感じる。
6日目は食べないことに慣れてくる。食欲もそんなになくなる。昨日より体が軽くなる。
7日目は凄く体が軽くなり、10代の頃に戻った様な軽さになる。「あれ今日で終わりか?ずっと食べなくてもいいかも」と思う。断食を終了する。
8日目はお粥半膳を2回おかず無し。体は軽いまま。
それから徐々に食事を増やしていくが、胃が小さくなるのか最初はあまり食べれなくなる。
私の場合はそんな感じであった。最もつらいのは2〜3日であり、それを越えると不思議に食欲がなくなっていくのを感じた。
また1瞬間ほど経つと信じられないくらい体が軽くなった。まさに10代に戻った様な軽さだった。
私はG先生に教わったやり方でやったが、リスクも伴うのでやりたい人は勉強してからやった方がいい。
断食で有名なのは伊豆にある断食道場だ。
検索すると出てくると思う。
ちなみに断食では痩せない。ダイエット目的だったらやめた方がいい。
断食の目的はデトックス(毒素排出)である。
働きながらの1瞬間断食は体力がないとできないかもしれない。働きながらだったら3日くらいが良いと思う。
また1瞬間断食をしなくても、日々16時間断食をする方が体の負担も少なく長期におこなえて良いと思う、
しかし、精神力を鍛えるなら1瞬間断食が良いだろう。
つづく。
G鍼灸院でバイトするようになり最初は左手の修行が命じられた。
1ヶ月ほどすると、ぎこちないが左手を使っての食事、文字を書くなどできるようになった。
左手が使えるようになった頃、G先生から施術で使っている鍼を1本渡された。
鍼は寸6の3番。一般的な施術に使われている鍼だ。
「本当は銀鍼が良いのだけれど、ないのでこれで練習しなさい。」と言われ練習方法を教えてくれた。
練習方法は、
①鍼を鍼管に通す練習。右手のみで行う。まずは鍼を手に馴染ませる練習。「片手送管」と呼ばれている。
②枕などの柔らかいものに刺す。鍼を持つ手の形を覚える練習。刺しやすいものに刺す。
③少し硬いクッションなどに刺す。「燃鍼」と呼ばれる鍼を捻りながら入れていく技術をら使う。
④桐の板に刺す。
⑤ベニア板に刺す。
⑥将棋盤に刺す。
⑦動物に刺す。この時、動物を痛がらせてはならない。左手の押手(鍼管を固定)と刺す手のバランス、圧度の練習。
⑧自分に刺す。
⑨他人に刺す。
以上、できたら次に進むというものだ。
またG先生に言われたのは
「鍼をお守りの様に財布にでも入れて持ち歩きなさい。鍼の練習は最低1ヶ月は毎日休んではいけない。10分でよいから手が覚えるまでは続けなさい。」
と言うものであった。
私はその日以来、愚直に毎日鍼を練習した。
「先生は10分と言ったけど、倍やってやろう!」と毎日20分練習した。また練習してると夢中になり1時間近く練習した日もあった。
③まではことは簡単だったが、④からは難しく、特に④のベニア板は鍼の繋ぎ目が取れてしまうことが多々あった。
⑥の将棋盤は飛ばした。将棋盤が無かった。
⑦は犬を飼っていたので恐る恐るやってみた。犬は特に痛がる様子もなく「何してるの?」って顔をしていた。
⑧は自分の足に刺してみた。神経にあたると響くのを感じた、
⑨他人に刺したのは鍼灸学校に行ってからだったと思う。
G先生は「最初は毎日やりなさい」と言っていたが、今考えると毎日が大切なのが分かる。
パソコンでも毎日使っていると、文字の場所を手が覚えて自然にキーボードを見なくても打てる様になる。ブラインドタッチというやつだ。
まずは最初は手に動作を覚えさせるのが重要なんだろう。それにはやはり1ヶ月ほどかかるのだろう。
そんな感じでG先生の言っていた練習をしたが、鍼灸学校に行ってから知ったのだが、このような練習を「硬物通し」という。
鍼灸学校では専用の鍼練習枕があり、それで練習した。枕には硬さが4段階あった。
鍼灸学校の先生が1番硬いところを指差し
「ここ刺した生徒は10年間見たことない。」
と言っていたが、私が1分かからずそこに刺してしまった。
先生は驚いていたが「当たり前じゃん!練習量が違うんだよ。」と私は内心思っていた。
なかなか上記の様な硬物通しを真面目に練習している生徒はいなかっただろうし、そもそも練習方法を知っている生徒はいなかっただろう。
ちょっとした自慢だが、鍼の実技試験の時も先生に
「君、上手いねー。」と直接言われた。
実技試験中は話す様な雰囲気ではないので、言われた私も驚いた。
これはG先生の修行と陶芸の技術もあると思う。
陶芸のロクロでは手は一度固定したらブレてはいけない。
ブレると形が歪んでしまう。ロクロも不思議なもので最初は歪んでできないのが練習すると歪まないで作れるようになる。
そして、そのロクロを使う手の形と鍼の手の形が似ている。
私の鍼の手は全くブレず、りきみもなく鍼を刺した為に先生に褒められたのだろう。
また就職してからは、私の鍼を刺す様子を同僚が見て「なんか高橋先生の鍼を打つ姿は美しいよ。」と言われたことがあった。
今は鍼もステンレスの使い捨てになり非常に刺しやすくなったが、鍼の技術は今も活かされていると思う。
ちなみに、私が修行した当時はまだ使い捨て鍼ではなく、使ったら滅菌器に入れて繰り返し使っていた。
なので真っ直ぐな鍼はほとんどなく、蛇行した鍼が多かった。が、G先生は「こっちの方が刺しやすい」と言っていた。
鍼が使い捨てでなかったため、G鍼灸院の朝は1000本位の鍼を消毒綿花で伸ばす作業から始まるのが日課だった。
つづく。
「瞑想」の導入として私は自律訓練法を行う事がある。
自律訓練法とは簡単に言うと自己暗示である。6つの言葉があって、それを心の中で言うのである。
自律訓練法の説明。ネットからのコピペです。
↓↓↓
自己暗示によって体の筋肉の緊張を解きほぐし、中枢神経や脳の機能を調整して本来の健康な状態へ心身を整えることを目的とした訓練法です。 1932年にドイツの精神科医シュルツによって体系化され、心療内科における代表的な治療法として広く使われています。
自律訓練法「6つの公式」
第1公式(四肢の重感):手足が重たい
手や足には重さがあるため、からだの余分な力が抜けていて、からだの微妙な感覚を意識できるようになると自然と重さを感じるようになる。
第2公式(四肢の温感):手足が温かい
リラックスするほど手足の温度は上がっていく。また手足には温度があるため、十分にリラックスできると「温かさ」を自然に感じるようになる。
第3公式(心臓調整) :心臓が静かに打っている
リラックス状態では、心臓は静かに打っている。それをただそのままに感じることで、さらに深くリラックスしていく。
第4公式(呼吸調整) :楽に呼吸している
リラックス状態では、楽に深い呼吸をしている。それをただそのままに感じることで、さらに深くリラックスしていく。
第5公式(腹部温感) :お腹が温かい
リラックス状態では、腹部が温まってくる。それをただそのままに感じることで、さらに深くリラックスしていく。
第6公式(額涼感) :額が心地よく涼しい
深くリラックスしていくと、手足や腹部が温まると同時に、額はさわやかな高原で涼しい風を受けているような感覚になっていく。こうした状態をそのままに感じることで、さらに深くリラックスしていく。
これを何回か繰り返すと余計な力が抜けリラックスできる。
瞑想をする前に自律訓練法をすることで、より深い瞑想に入ることができる。
自律訓練法についてはネットで調べれば、もっと詳しく説明があるので、興味ある人は調べて下さい。
自律訓練法だけ行ってもリラックスできるので良いと思います。
つづく。
「気」の勉強会では瞑想が約2時間ほどあった。
「瞑想」って何をするの?
最初は分からなかったがMさんにやり方を教えてもらった。
まず、背筋を伸ばして座って肩の力を抜く。
呼吸は楽に、頭を空っぽにして何か浮かんできてもとらわれない。気にしない。
自分の心を眺めるようにだんだん深く内面に入っていく。
頭で考えるのではなくて、内面を感じるようにする。
起きているのだけど頭では考えない、意識ははっきりしたまま寝ているような感覚。
「無念無相」という状態である。
そんな瞑想だったが、土曜の仕事で疲れていた私は完全に寝てしまった時も多々あった。
しかし、瞑想を何度もしていると感覚が研ぎ澄まされ「気」を感じられるようになった。
それが分かったのは、暗い部屋で瞑想をしていて、もちろん目はつぶっているのだが「気」が変わる瞬間を感じることが何度もあったのだ。
別の言い方をすると、部屋の空気が変わる瞬間を感じたのだ。
そういう時は、だいたい終わった後にMさんが
「今日は30分くらいしてから気が変わったね。」と言っていた。
瞑想をしていた時、確かに部屋の空気が清々しく軽やかになるのを感じることがあった。
ここでいう「気」というのは特別に思えるかもしれないが、簡単に言うと「雰囲気」である。
どっかの店に入ったりすると、なんとなく「ここは居心地いいな」とか逆に「なんかここは嫌だな。早く出たい。」とか感じるのがそれである。
人も同じで「何となく好きだな」とか「何かあの人とは合わない。」とかもそうである。
なので人は無意識に「気」を感じて自分のあった場所にいて、自分とあった人といるのである。
三輪明宏さんが、ある人の相談で
「どうして自分の周りには下らない、ろくでもない人はがりいるのだろう。私は運が悪いのでしょうか?」
と聞かれ、それに対して
「それはあんたがろくでもない人間だからだよ。ろくでもない人間にはろくでもない人間が集まってくるんだよ。」
と言ったそうだ。きつい言い方だが、確かにそうだと思う。類は友を呼ぶのだ。
学生時代を思い出すと分かるが、似たもの同士が集まってグループを作っている。
自分と同じ「気」を持った集団が居心地が良いのだ。
そんな「気」だが、今でも私は「気」を大切にしている。
初めて行った場所、初めて会う人などでは、「気」を感じることを無意識にしている。
つづく。
G鍼灸院で働きだした頃から月一の「気」の勉強会にも参加した。
勉強会は土曜の夜7〜12頃に行われていた。
参加者は8人くらいだった。G先生に声をかけられた患者さんが多く、「気」に興味ある人達であった。
参加費は無料。木曜の体操会も無料だった。
そんな「気」の勉強会に参加していたが、G鍼灸院の土曜診療は大変忙しい上に9〜16時までぶっ通し、15分ほどの食事休憩があるのみだったので、私は土曜の夜の勉強会は楽しみであったが疲労困憊であった。
勉強会の場所はG鍼灸院、講師は基本的にはMさんであった。G先生もたまに来たりした。
勉強会の内容は、まず参加者約8人ほどが順番に1ヶ月間の気がついた事などを発表する。
それについてMさんが意見やアドバイスを述べる。
次にMさんが、その月のテーマについての話をする。その時のテーマとは中村天風だったり、ベストセラーの本だったり、新聞の話、仏教、キリスト教の話だったりした。
そのテーマについてMさんを中心に1時間ほどそれぞれの意見を述べ話し合った。
それが終わると、最後に瞑想が2時間ほどあった。
前述したとおり私は土曜の疲れきった状態で参加していた為、瞑想は眠くて眠くて仕方なかった。というか半分寝ていた。
(この瞑想について書くと長くなるので次回書きます。)
しかし、今思えば20歳そこそこの若い時にMさんにいろいろな人生論を教わった事は以降の人生で大きかったと思う。
以降の人生の価値観がしっかりできた気がする。Mさんに今でもとても感謝している。
ちなみにMさんはG鍼灸院のことは全てボランティアでやっていたが、本職は某有名企業の人事部長をされていた。
私は冗談で「鍼灸師やめたらMさんの会社で雇ってもらえますか?」と聞いたことがあった。
Mさんは「それを言われるのが一番困るんだよな〜」と笑っていた。たぶんいろんな人から言われるのだろうなーと思った。
G先生には「畏敬の念」があり話す時は緊張してしまうが、Mさんは良い先輩的な存在で気軽に何でも相談できた。
ちなみにMさんサラリーマンを退職した後、自宅で気功整体院を開いた。数年前にお会いしたら3ヶ月先まで予約が一杯と言っていた。確かにMさんならそうだろうと思った。
G鍼灸院の当時、私は絶対Mさんは将来、治療院をやるだろうと思っていた。
面白いことにG鍼灸院の患者さんであるMさんだが、G鍼灸院にはファンもたくさんいたし、Mさん自身そういう才能ある方だと思っていた。
つづく。