月別アーカイブ
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年7月
- 2022年4月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年7月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
カテゴリ一覧
自由が丘店には、とても人気のある男性スタッフSさんがいた。
系列店40名ほどいるスタッフの中でも人気No1。
2ヶ月先の予約枠がオープンになるとすぐに一杯になってしまう。
Sさんは年齢30代前半、吉田栄作に少し似た爽やかな感じの人だった。マッサージももちろん上手いと評判だった。
そんなイケメン爽やか青年なので、自由が丘のマダム達がメロメロになっていたのだろう。
私は一度Sさんに
「何か特別な技とかあるのですか?」
と聞いたことがあったが、爽やかに
「別に普通にマッサージしてるだけだよ。なんで人気なんだろうね。俺も分かんない。」
と言っていた。
店長にも
「Sさん、なんで人気なんですか?」
と聞いたら
「Sさん、すごく優しいよ。」
と言っていたが、私は内心(それだけ?他にも優しい人はいるのに。やっぱり見た目?)と思っていた。
そんなもてもてのSさんだったが、後に同僚の地味なスタッフと結婚した。
私はチョット意外であった。Sさんだったら、もっとキレイな女性はいくらでもいただろうに。分からないもんだな〜と思った。
そんなSさんだが、私が退職して8年後くらいに当時のスタッフが集まって飲み会をやった時に来ていた。
Sさんは
「あれから自分でマッサージ店をやったけど潰れて、その後、雇われ店長も2つほどやったけど潰れた。それから友人の店で働いていたけど、そこも潰れた。俺、何件潰したなかな〜」
と話していた。
あれほど人気のSさんでも続かなかったのか?
マッサージ店の経営って難しんだな、と思った。
ちなみに私が当時バイトしていたこのマッサージ店も数年後に倒産した。
私がバイトしていたこの頃が、1番勢いがあったのではないか?
私の配属先は渋谷に2号店ができるらしく、そこの新規オープンスタッフとして配属されることになった。
つづく。
自由が丘店の研修も終わり、いよいよお客さんに入ることになった。
店のマッサージは確か50〜90分のコースだったと思う。
今まで10分ほどのマッサージを知り合いなどにやった事はあったが、お金を頂き本格的なマッサージをするのは初めてであった。
そして、ついにその日が来た。
「この人は優しいから大丈夫だよ。」と店長に言われ、初めてのマッサージは50分コースで40代女性だった。
簡単な自己紹介をして、教わったとおり50分コースを緊張しながら施術した。
たぶん私が緊張しているのを感じたのだろう、マッサージした後にお客さんに
「マッサージしてどれくらいなんですか?」
と聞かれた。
(えっ!下手だった?なんて答えれば良いのか、実は初めてなんですって言っていいのか?どうしよう。。)変な汗が出てきて焦った。
「実はまだ1ヶ月ほどなんです。すいません。」
と、初めてと言えずにそう言ってしまった。
しかし、お客さんは笑顔で
「マッサージ良かったですよ。ありがとうございました。」と言われた。
あまりに緊張してぎこちなかったので励ましてくれたのだろう。
お客さんをリラックスさせるどころか、逆に気を使ってもらったようだ。
しかし、同情からでも「マッサージ良かった。」と言ってもらって嬉しかった。
それから平日1日4時間勤務の間に2〜3人、日曜は6〜8人ほどマッサージして徐々に慣れていった。
自由が丘店のお客さんは40〜50代の系列店の中では年齢層高めの落ち着いた人が多かった。
それから1ヶ月ほど研修した後、本格的な移動となった。
私は希望の店舗を聞かれたが、学校が渋谷なので渋谷店を希望した。
渋谷だったら少し時間に余裕ができ学校が終わった後、店のランチが食べれた。
そんな感じで今から約30年前、初めてのマッサージを経験したが、今の私の施術と何が違うのか?
もちろん行なっている手技も違うが、一番の違いは「身体の読み」だろう。
当時の私のマッサージはマニュアル通り。
決まった順序でマッサージするだけ。身体を読むことはできなかった。これが初心者と上級者の違いだろうと思う。
「身体を読む」とは身体の力学バランスを診たり、東洋医学の脈診、腹診、舌診、背項診や、患者さんの心理状態も診ていくことである。
これは簡単でもあり難しくもある。
初心者でもやり方を教わればみれるが、上級者になればなるほど深いレベルで身体をみることができる。
具体的に整体では
肩の位置はどうなっているのか?
骨盤の位置はどうなっているのか?
脚の長さ、開き方は?
関節の可動域はどうなっているのか?
筋肉、皮膚の張りはどうなのか?
呼吸は深くできているか!
などをみる。
また鍼灸では
脈はどうなっているのか?
舌の色は?爪の色は?
背中のツボ、手足のツボの反応は?
腹部の緊張は?
生活環境はどうなのか?
ストレスはあるのか?
などを診ていく。
また、ベテラン治療家になると言葉に出して訴えられない症状、悩みなども感じながら施術していく。
人は表面的な悩み、苦しみは訴えることはできるが、心の奥底にある本当の悩み、苦しみは言えないものである。
つづく。
マッサージ研修が終わってから実際の店舗に行って、接客がメインの研修が行われた。
私が配属されたのは自由が丘店であった。
自由が丘は学校がある渋谷から30分ほどかかった為、ゆっくり食事する暇はなくコンビニでの昼食、夜食であった。
自由が丘というとセレブが住む高級住宅というイメージがあるが、実際行くと意外と庶民的な町であった。
(今から30年前の話なので今はどうなってるか知りませんが)
駅近くには古びたお惣菜屋や定食屋、ラーメン屋などが並んでいてイメージとはかなり違っていた。
たぶん自由が丘でも庶民的な地域と高級住宅な地域があったのだろうが、駅近くは庶民的な雰囲気であった。
私が研修したマッサージ店は駅から3分くらいのところだった。
一般的に普通のマッサージ店はそこまで接客を徹底してないが、私の働いたマッサージ店はオシャレな雰囲気のマッサージだった為か接客には厳しかった。
これは接客についての私の考えだが、あまり接客が形式的になるとかえって親密度が薄れる気がする。
本音での対話ができないで表面上のやりとりになってしまうからだ。
接客はあまり形式ばらずに、1番大切なのは「相手を尊重する気持ち」だろう。そういう気持ちは伝わると思う。
ちなみに野口整体(井本整体)において、相手への心遣いについては「気づかい」「気配り」「気働き」という言葉がある。
最高のおもてなしとは、相手に気を使ってると悟らせないようにその人の心地よい待遇をする事だという。
相手の欲することを言葉なく感じて自然の成り行きの如く相手を導くことは、声なき声を聞き、訴えられない身体の訴えを感じる第一歩なのだ。
なので「気配り」「気づかい」「気働き」ができない鈍感な人は治療家には向いてないのである。
つづく。
鍼の師から「鍼灸をするには体に触り慣れないといけない。」と言われ、専門学校の空き時間にマッサージのバイトをすることにした。
面接に行き、働くことになったマッサージ院は有名下着メーカーの子会社になっており、都内の自由が丘、渋谷2店舗、銀座、新宿にお店があった。
研修施設もあり新人が入社すると1ヶ月ほどのマッサージ研修もあり、さすが大会社の子会社でそういうところはしっかりしていた。
研修はマッサージ部門代表の大谷部長(本部の部長兼マッサージ会社代表でもあった)の直属の部下の佐藤さんが担当だった。
ちなみに大谷部長、佐藤さんは鍼灸マッサージ師である。
マッサージは、その流派によってやり方が違う。
そこのマッサージ院は当時流行っていた「スポーツマッサージ」を売りにしており、あん摩指圧に加え、ストレッチを多く取り入れたものであった。
またオイルマッサージなども行なっていた。
私は正式にマッサージは習ったことがなかったが、佐藤さんが1対1で丁寧に教えてくれた。
マッサージの手の使い方やマッサージする前の筋肉の緊張、した後の変化など丁寧に教えてくれた。
今思えばバイト代をもらいながら1ヶ月も教えてもらえるなんていいバイトだった。
マッサージ院によっては研修費用を給料から天引きするところもあるのだ。
研修は最初の頃は手が慣れなくてぎこちなかったが、徐々に慣れていき、1ヶ月しないで合格をもらった。
また、そのマッサージ院はオシャレな雰囲気のマッサージ院であり、接客については厳しかった。
指導してくれた佐藤さんは裏表のないサバサバした性格で、帰る電車も同じ路線だったのですぐに打ち解けた。
それから1ヶ月予定の研修は3週間で終わり、研修後は実際の店舗に行っての研修となった。
ちなみに、このマッサージ院はスタッフ全員で40人弱いたと思うが、新しい会社で20代〜30代前半が多く学校の部活みたいなノリがあり、総じて楽しかった。
スタッフ同士はニックネームで呼び合い、仕事後によく食事や飲みに行ってるようでスタッフがとても仲が良かった。(私は夜は学校があったが、たまに飲み会に合流していた)
今振り返ると単純に楽しさだけだったら、このマッサージ院の時が1番楽しかったかもしれない。個性的なキャラの人もたくさんいた。
しかし私はG先生のような鍼灸師になるのが目標なので、マッサージはWスクールの1年だけと最初から決めていた。
それからマッサージ研修も終わり店舗研修になった。私は自由が丘店に配属になった。
しかし、自由が丘店の店長は、スタッフ皆んなから恐れらていると噂の女性店長の店であった。
つづく。
大学を卒業した年の4月から9〜12時に柔整学校1年生、18〜21時に鍼灸学校3年生というWスクール生活がスタートした。
ちなみに専門学校は3年なので1年だけWスクールになる。
学校が渋谷なので一度自宅に帰るのも時間が中途半端であった。
春日部から渋谷までは当時は1時間半かかった。
空いた時間でバイトでもしようと思ったが、バイトをするにしても、どうせやるなら将来の仕事に活かせるバイトが良かった。
鍼の師のG先生から
「鍼を打つにはまず体に触り慣れないといけない。最初はマッサージをすると良い。」
と言われていたので、どこかマッサージのバイトを探すことにした。
しかし、平日の13〜17時という時間で雇ってくれるところがあるのか?
当時の求人は鍼灸の業界誌「医道の日本」しかなかった。その本の後ろのページにある求人に電話してみることにした。
本に載ってるマッサージ院に片っ端から電話したが、ほとんどのところは断られた。
1件だけ「日曜も出れるなら来てもいいですよ。」と言ってくれた。
数日後、面接に行ってみると、ちょっとオシャレなマッサージ院だった。都内に数カ所あり、大手下着メーカーの子会社であった。
まだ新しい会社らしくスタッフ皆20〜30代と若かった。代表の大谷さん(仮名)も35歳くらいだったと思う。
面接では
「日曜は出れますが、平日1日は休ませてください。」と言い、採用となった。
日曜働くのは苦ではなかったが、平日1日休みが欲しかった。
学校の空き時間に自分の時間が欲しかったのだ。
平日の空き時間は、渋谷をぶらぶら探索したり、カフェでのんびり過ごしたり、映画を見たり、卒業した大学の図書館に行って勉強したり陶芸部で陶芸したり、献血したりして、忙しい毎日の唯一の息抜きの時間だった。
新しく始まった柔整学校は週に一度柔道の授業があった。柔道で組み合ったりするせいか鍼灸学校の時よりクラスメートと仲良くなるのが早かった。
柔道は経験者と未経験者がいたが、経験者といっても強豪大学出身者も多く、素人とは全くレベルが違っていた。
指導の先生もオリンピックの選考までいった有名な先生だった。
一度だけ乱取りで組ませてもらったが、5秒くらいで投げられた。しかし痛くなった。上級者に投げられると痛くないのだ。むしろ投げられて気持ち良い。
また、柔道では受け身を最初に習うが、これは実生活で役に立つ。
もう10年以上前になるが、整骨院の外の電球を丸イスに立って交換していてバランスを崩して倒れた時があった。
イスから前に倒れ地面に頭を強打するところだったが、とっさに1回転、前回り受け身をしてなんともなかった。ニャン子先生のようだった(古い!)
頭を強打したり、手をついて骨折したら大変だった。
また、自転車で転倒した時も受け身をとって怪我は無かった。
今までに「受け身を教わっておいて良かった〜」と思ったことが何回かあった。
受け身オススメです!
つづく。
柔道整復師の専門学校にも合格し、来年からは柔整学校1年生、夜間の鍼灸学校3年生になる。また大学はなんとか卒業できそうな見込みができた。
柔整の学校に行くようになると大学のようにテスト一発勝負とはいかないので、午前中は柔整学校、夜は鍼灸学校となりG鍼灸院では働けなくなってしまった。
思えば高校3年間痛かった、どこに行っても治らなかった腰痛を治して頂いてから約5年間、患者として、弟子としてG先生にはお世話になった。
鍼灸について、また人を治療するということについて全く無知った私にいろいろ教えて下さった。
G先生は鍼治療に人生をかけ情熱を注いでいた。
治療家なら治療に熱心なのは当たり前だと思うかもしれないが、この業界に入ると意外と治療に情熱がある人が少ないのが分かる。
向上心を持って学び、患者さんを第一に考えて仕事をしている人は1割程度ではないだろうか?
ほとんどの治療家は惰性で治療をしている。日々、向上心を持って勉強している治療家は一握りしかいない。
もちろんG先生は治療に心血を注ぎ、常に新しいことをチャレンジしていた。
私はG先生に鍼灸の技術も教わったが、技術以上に治療家のあるべき姿を先生の日常から教わった気がする。
縁あってG先生と出会い鍼灸の素晴らしさを経験させて頂いた。G先生と出会わなければたぶん鍼灸はやってなかっただろう。
私の人生は別の方向に向かっていた。
しかし、G先生と出会い治療家の道を歩んで良かったと思う。
G先生の治療に対する情熱はG先生の人生そのものであった。
その情熱はいつしか私の心にも燃え移り、30年経った今でも消えることない。
G先生から受け継いだ情熱は、私の生涯の灯火となり私の人生をこれからも照らし続けてくれることだろう。
鍼灸修行編 『完』
こんにちは。院長高橋です。
今回40代、4.5cmの卵巣嚢腫が消失した臨床例です。
その方は腰痛で来院されたのですが、問診をすると冷え性、卵巣嚢腫があるというので、そちらも一緒に鍼灸しましょうということで、体質改善の鍼灸をしました。
卵巣嚢腫は左に4.5cmということでしたが、卵巣嚢腫は病院では「治らない」と言われたそうです。
私の妻が鍼灸で7cmの卵巣嚢腫が消失した経験がありましたので「治るか分かりませんが、とりあえず冷え性や腰痛の鍼灸をして体質改善をしましょう!」と鍼灸をやりました。
また鍼灸を受けながら漢方薬も服用したそうです。
週に二回ほど鍼灸をして、院に来れない日は自宅でお灸をやってもらいました。
しかし、自宅のお灸はお子さんが小さくなかなかできない日も多かったそうです。
鍼灸は主に下半身の血行を良くして冷えを取るツボを使いました。
腰痛は1ヶ月かからず良くなってましたが、治療してから約3ヶ月、病院で卵巣嚢腫の消失を確認しました。
今回のケースは鍼灸と漢方薬も効いたものと思います。
期待に応えられて私も安堵しました。
卵巣嚢腫と冷え性は大いに関係あると思われます。
まずは冷え性改善が重要ですね!
G鍼灸院には何人か不妊症のご夫婦が来ていた。
その方は30代だったと思う。
痩せ型のご婦人で、ご夫婦で鍼灸院に来ていた。
私が働く前から鍼灸を受けていたようだったが、私が働いてからは半年ほど経っていたと思う。
そんなある日、ご婦人はいつものように鍼灸を受けるためにベットに寝て待っていた。
少ししてG先生が来て、お腹を触った後
「妊娠してます。受精して2週間経ってます。」
と突然おっしゃった。
(え?本当?)
私も近くで聞いていて驚いて、他のスタッフと顔を見合わせてしまった。
ご婦人も突然の言葉に驚きながらも喜んで
「あ、ありがとうございます。」
と言うのが精一杯で、目には涙が潤んでいた。
少しして私とスタッフで
私「本当ですよね?妊娠2週間で分かるんですかね?」
スタッフ「本当でしょ。違ってたら大変だよ。」
と話した。
確かに、鍼灸では「脈」で妊娠が分かると言う。
しかし、この時先生は脈診はしてない。数秒お腹を触っただけである。
「なんで分かるのですか?」と聞きたかったが、たぶん「気に決まってるだろ!そんなことも分からないのか!」と言われそうで聞けなかった。
それから本当にお腹は大きくなっていき、その後無事に出産された。
確か赤ちゃんも連れて挨拶に来てくれたのを覚えている。
ちなみに現在、うちでも不妊症のご夫婦が何人かいらしているが、基本的には冷え性の体質改善の鍼灸を行う。
私はG先生のように妊娠2週間では分からないが、それなりに頑張って鍼灸させて頂いております。
うちでも開業以来、不妊症でいらして出産されたご婦人は30人以上はいると思う。
もちろん皆さん、専門の病院に通いながらである。
つづく。
こんにちは!院長高橋です。
只今、柔道整復師・鍼灸マッサージ師を募集しております。
当院開業22年、解剖学をベースにした手技療法(KYT整体)、鍼灸、冷え性、美容鍼など致してます。
月1回、受付時間を短縮して院内研修会や、随時動画による勉強会を行っております。
完全週休2日制、社会保険完備、有給休暇、退職金制度あり
現スタッフ、長期勤務者多く働きやすい職場です。
ご希望の方はお電話、line下さい。
G鍼灸院でのある日のこと。
午前中、1人の70歳過ぎの男性が初診で来た。
腰痛が主訴だったが、先生は特に変わりなくお腹、腰の鍼をしてその方は帰宅した。
男性が帰って少ししてから、男性の家族(娘さん)が鍼灸院に来た。
娘さんは、「先生にお話したいことがあるんです。」
と、先生と直接話したいと待っていた。
少ししてから先生が来た。
娘さん「先程お世話になった○○の家族なんですが、
、、」
先生「大丈夫ですよ。」
娘さん「え?でも、、、」
先生「大丈夫です。」
娘さん「先生にお伝えしたいことが。。」
先生「大丈夫です。分かってますから。癌なんでしょ?本人に言ってないんですよね。ちゃんとそっちも治療しておきましたから、大丈夫です。」
娘さん「、、、」
娘さんは、びっくりして声もでない様子だったが、少しして
「よろしくお願いします。」
と深々と頭を下げて帰っていった。
私は、目の前でこのようなことがあったが、G先生のこういう出来事には慣れてしまっていたので特に驚きもせず、さすが我が先生!と少し誇らしかった。
それから、このご家族は先生をすっかり信用してくれて家族全員で鍼灸院に来るようになった。
ちなみにこの男性の癌は、よく覚えてないが確か胃癌だった気がする。
私が働いている間は元気に来ていたが、その後どうなったのかは分からない。
とても明るいいいお爺ちゃんで、私の気功を受けて
「高橋先生の気功は気持ちいいな〜」
と、いつも言ってくれた。
その方のように、G鍼灸院には癌で来ている人が何人かいた。
つづく。